セレスティア 姉はとても真面目なタイプで、学生の頃は「優等生でいないといけない」、心の病にかかってからも「仕事ができなければいけない」と完璧を目指すタイプでした。私への手紙にも「あんたは病気になった私のようになるな」と書かれていて、それが今も忘れられません。姉の心が回復するように家族はできる限りの力を尽くしたのですが、最後は自分で……。
――辛いですね。
セレスティア 姉がいなくなって、一番苦しんだのが母でした。「自分の育て方が間違っていたのでは」と言うようになり、ずっと自分を責め続けているように見えたんです。そこへ自分がゲイであることをカミングアウトすることはためらわれたのですが、家を離れる時期も近づいてきていました。万が一それで「娘も息子も育て方を間違えた」と母に思わせることは絶対に避けたかったので、育ててもらって感謝していること、友達もできて幸せだということを丁寧に伝えました。
母親も「お父さんには言わなくてもいい」という意見
――お母さまはそれを聞いてなんと言っていましたか?
セレスティア 「誰にも言いにくいことを伝えてくれて嬉しかった」と言ってくれました。私が「孫の顔を見せることができなくてごめんね」と話した時も、「それは少し残念だけど生きたいように生きてくれたらいいよ」と。ゲイの友人の中には親にカミングアウトして絶縁状態になった子も多くいて、そういう展開も覚悟していたので本当に安心しましたね。
――お母さまに受け入れられた勢いでお父様に、と思ったりはしませんでしたか?
セレスティア それは全く別でしたね……。父と関係が悪いわけではなくて、特に私が社会人になってからは仕事の話など会話も増えました。帰省すると2人でお酒を飲みながら仕事の愚痴を言ったりはしています。でも距離が縮まったからこそ、カミングアウトについては慎重になっているのも事実ですね。この関係が崩れてしまうかもしれないと思うとやっぱり怖くて。母も「お父さんには言わなくてもいい」という意見で、頭ごなしに絶縁というタイプではさすがにないと思うのですが、いい反応が返ってくる可能性も低いだろうから、と。