芥川賞の選考会でも、言葉にパワーがある点が高く評価された。
「東北弁にかぎらずどこの方言にも、そこに生きてきた人の匂いや味があると思います。私はたまたま東北に生まれたというだけで、誰に教わったわけでもないけれど、言葉を通して東北人であることの誇りと喜びを感じ取ってきました」
作品を濃厚な味わいにしているもうひとつの理由は、「桃子さん」の内面の声が噴き出し、全編に満ちているから。
〈桃子さんはさっきから堰を切ったように身内から湧き上がる東北弁丸出しの声を聞きながらひとりお茶を啜っている。〉
と書かれるように、「桃子さん」は波風の立たない平凡な日常を送りながら、心の中はひじょうに忙しい。
「おばあさんの内面の生活が書きたかったんです。だからこの作品は、大半が桃子さんが脳内で自分と会話することで展開されるようになっています」
それで亡き夫との思い出、疎遠になってしまった娘・息子との関係、婚約相手から逃れて上京したりもした「桃子さん」の半生が、現在の「桃子さん」の生活とつながったり離れたりしながら開陳されていく。
鳴り響く内心の声に耳をすませて考えを巡らせているうちに、家の中で場所を移動しているなど、平気で現在と過去が境い目なくつながったりする。標準語と東北弁がランダムに登場することも相まって、いくつもの声が同時に鳴り響くような感覚に陥る。
「父がよく唸っていた浪曲で、地の文が低い声で語られつつ、登場人物ごとに声音を変えて描写が進む表現に親しんでいました。その重層的なあり方がおもしろくて、ぜひ小説でこれをやりたいと思いました。
それに、以前ミュージカル『レ・ミゼラブル』を観たんですが、舞台上の人物が同時にいろんな曲を歌うあのにぎやかな感じもよくて、そういう小説ができないかと考えました。
桃子さんの話にそれを落とし込むとすると、いくつもの声がすべて脳内で鳴るかたちにしなければいけない。それでいろいろと自分なりに工夫しながら書き進めていきました」
そうして若竹さんは、千葉県木更津市の自宅で日々の暮らしを営みながら、じっくりと筆を進めていった。
「外部からの締め切りなどはもちろんないので、あれこれ想像を膨らましたり、記憶を探ったりしていたら、書き終えるまでに結局2年間を費すことになりました」
じっくり考えることで生まれた会心のシーンは?
「自分でうまくいったと思ったのは、霊園へ向かう桃子さんが足を滑らせて怪我をするところですね。夫の死の悲しみを改めて反芻する桃子さんの内面と、今の現実をどうリンクさせるかずっと長い時間考えていたんです。怪我による物理的な痛みを桃子さんに体験してもらうことで、うまく現在と過去の橋渡しができたんじゃないかと思います」