ラッツ&スターのメンバーであり、『志村けんのだいじょうぶだぁ』への出演を機にタレントとしても活躍する桑野信義(65)。
志村けん氏に招かれた『志村けんのだいじょうぶだぁ』の舞台裏、『志村けんのバカ殿様』で家老役を任された際のプレッシャー、師匠と呼ぶ志村けん氏との日々について、話を聞いた。(全3回の3回目/闘病編を読む)
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志村けんと「最後」に過ごした時間
ーー4月に刊行された著書『がんばろうとしない生き方 大腸がんになって見つけた笑顔でいる秘訣』に、手術直後の体が辛いなかで志村けんさんの夢を見たと書かれていますね。
桑野信義(以下、桑野) 師匠から「体をほぐしてくれ」と言われて、俺が肩を揉んでいて。師匠をマッサージしたことなんてなかったんだけどね。そうしたら、師匠がなんかの人形を買ってくれて「大事にしろよ」と渡されたの。そこから今度は「桑ちゃん、飲みに行こう」って誘われて、ついていこうとしたら見失っちゃうという夢。
ーー志村さんは2020年3月29日にお亡くなりになりましたが、最後にお会いしたのは?
桑野 師匠はいろいろと忙しかったから、数年前からは『志村けんのバカ殿様』『志村魂』で会うくらいだったんです。前は飲みに連れてって頂いてたけど、俺が酒を飲めなくなったのでお話しする機会が少なくなっていたし。
最後に飲んだのは、2019年の12月にお正月用の『バカ殿』を収録した時。飲んだってのは、コントのなかで。師匠が悪代官で俺が悪い商人でさ、師匠が「飲めよ」って本物のお酒を渡すのよ。で、俺は「いや、今日は車で来てるので……」って断ってね(笑)。
「雲の上の人」志村けんとの出会い
ーーシャネルズのライブをドリフターズの方々が見に来てくれたのが、志村さんとの出会いだったそうですね。
桑野 うちの事務所の会長が渡辺プロダクションのチーフマネージャーをやっていたから、志村さんがドリフのボーヤをやってた頃から知ってるんですよ。「ケンちゃん、ケンちゃん」って呼んでたし。それでラッツ&スターがシャネルズだった頃、しかもまだアマチュアだったんだよね。そこへ見に来ていただいて。
ちゃんとお会いしたのは『8時だョ!全員集合』(TBS、1969年10月〜1985年9月)。シャネルズで、3回くらい「少年少女合唱隊」のコーナーに出てるんだよね。でも、まだ俺はあくまでバンドの一員だったから、きちっとしたご挨拶はしてなかったんじゃないかな。