『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ、1987年11月~1993年9月)に出させてもらうまでは、お会いする機会はなかった。もう雲の上の人だし、俺らは音楽一本でやっていたしね。
ーー『志村けんのだいじょうぶだぁ』出演の経緯というのは?
桑野 『志村けんのだいじょうぶだぁ』って新番組をやるって話が事務所に来て、「おたくの田代(まさし)と桑野を出してくれないか」と言ってくれたんですよ。
『だいじょうぶだぁ』の前年に『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS、1986年1月~1992年3月)が始まってたでしょ。『カトケン』とは色を逆にしたかったみたいで。いままで志村さんが絡んだことがなくて、なおかつお笑い芸人じゃない人と絡むっていうのをフジでやりたいっていう。
だから女の子もコントをやったことがない子たちを集めて。いまから考えてみれば、その頃から志村一座みたいなものを作りたかったんじゃないかな。まぁ、うちの会長が俺と田代君をプッシュしてくれたとこもあっただろうけどね。
楽屋挨拶で「はー! 怖いよー!」
ーー非常にうれしいオファーですけど、雲の上の存在である志村さんの番組に出るとなるとビビりますよね。
桑野 ビビッたねぇ。ちょうどその頃、リーダーがソロになるのでラッツ&スターのメンバーもそれぞれが好きな道に進もうってなったの。で、リーダーは俺に「桑野、おまえは音楽やれ」と言ってたのよ。お姉ちゃん(鈴木聖美)もいるから、一緒にやっていけばいいじゃないかって。でも、当時メンバーで子供がいるのは俺だけで。やっぱり、稼いで食わせていかなきゃいけないじゃない。バラエティのほうに進んでも、売れたら音楽をやれる余裕ができるなと。それもあって『だいじょうぶだぁ』に出る覚悟ができたんだよね。
ーー覚悟ができてからはビビることもなく。
桑野 いや、ビビッたねぇ。志村さんへご挨拶に伺ったんですよ、河田町のフジテレビに。地下に大きな楽屋があって、トントンってドアを開けたら志村さんと加藤(茶)さんがいらして。たぶん『ドリフ大爆笑』(フジテレビ、1977~1998年)でコントを収録していた合間だったと思うんだけど、ふたりともパンツ一丁でタオルをかけててさ、「誰だぁ?」みたいな感じで振り向いてジロッと俺のことを見るのよ。