穂波はこの2日後にも、手作りのおでんとひじきの煮物を持って髙崎家を訪ねた。あかりはそのときにも穂波にLINEのメッセージを送っている。
1月23日
穂波ちゃ~ん♪♪あかりから聞いたよ☆ おでんとひじきの煮物を持っていってやってくれて有難う♪♪ 優しい味付けでとても美味しかったし、1人でちょっと心細い思いをしていたから凄く嬉しかったって言ってた☆
1月26日
お早う! 昨日は折角小芋の煮物とお漬物を持ってきてくれたのに、よりにもよってあかりがお風呂に入っていてきちんと対応出来なくてごめんね。まだおでんとひじきの煮物の容器も返していないのに申し訳ないって言ってた。近いうちに返すように言っといたからね。本当に有難う!まだまだ帰れそうにないけど、気にかけてもらって心強いな☆ でも本当に、たまにで良いからね…。
370メートル先の遺体
殺害直後は昂揚して眠れず、生活が昼夜逆転して満足な睡眠が取れない時期が数日続いた。
心配する気持ちが先に立ち、1日に何度か遺棄現場を見に行って遺体にあらたに土をかけた。頭頸部及び上下肢は焼却ゴミとして処分したが、ゴミ袋のなかの異物を清掃作業員に気付かれたり、運搬中に袋が破れたりしないか心配だった。
1週間ほど経つとようやく落ち着いて眠れるようになったが、母は夢にも登場して、生前と同様、あかりを激しく叱責した。
毎月月末には、3万円の生活費を受け取るために父が来る。そのため、父へのメールも母になりすまして送り、3万円が入った封筒と手作りのカレーを自転車のカゴに入れたことを伝えた。
父からは、「今お土産いただきました。何時もありがとう。早速夕食にいただきます」とメールが届いた。あかりはまたも母になりすまし、「カレーは私が作りましたが、お漬物は頂き物です。漬物の容器は捨てて下さいね」と返信している。
2月に入り、ふたたび穂波が訪ねてきた。
「お母さん、叔母さんの介護が大変そうだけど、元気かな? いままでやっていたLINEゲームにも全然来なくなっちゃって」
「お気遣いありがとうございます。きっと、介護で疲れていて、ゲームどころじゃないんだと思います」
「長くなりそうだし、心配ね。LINEをくれるから大丈夫だと思うけど。あかりちゃんも、身体には気を付けてね」