いくら追及されても、「殺していません」と否認を貫いた。「噓をつくことには慣れていた」とあかりは言う。
警官や検事の指摘はどれもこれも鋭利に的確だった。拙いストーリーがズタズタに切り裂かれ、決まりの悪さに心臓が絞られるようだった。けれども、私は噓をつき続けた。
母から解放され、母のいない私の人生を生きるために母を殺したのに、殺人罪で刑務所に入れられたくなかった。死体損壊・死体遺棄罪だけなら執行猶予だ。殺人の証拠はない。噓をつき続ける苦しさ、噓がバレている決まりの悪さにはすっかり慣れていた。何十年も私は母に噓ばかりつき続けてきたのだ。母は私が噓をつき続けていると分かっていた。どんなに長くても40日間。しかも相手は他人だ。母に偽り続けてきた過去に比べれば、ずっとずっと楽だった。
「あなたは考えなきゃならない」
警察、検察の揺さぶりは続いた。あかりが小学生のころ、母の誕生日に送っていた「お祝いカード」やアルバム、デジタルフォトフレームなど、母娘の絆を想起させる物が家宅捜索で押収されており、それも取り調べの材料とされた。
「アルバム見させてもらったけど、大事に可愛いがられてたんだな。何でこうなってしまったんだろう」
「あなたが子どものときにお母さんにプレゼントしたと思われる、手作りのカードがほら、いくつも保管されてたよ。お母さんにとって、大事な物だったんだね……」
「2人で楽しそうに旅行している写真をずっと玄関に飾ってるのを見て、僕はあなたがお母さんの娘としての心を持っているって確信したよ」
しかしこうした揺さぶりも、あかりの心には届かない。黙秘を続けるあかりに、検事は何十分も延々と訴えつづけた。まるで新興宗教の教祖のように。
「あなたは房で考えつづけるんだ。なぜお母さんを殺したのか。どう思っているのか。僕はお母さんのご遺体を見た。検死に立ち会ったんだ……。色んな遺体を見てきたけど、あれは酷い。お母さんがどれほど辛く悲しく悔しいか……あなたは考えたことがあるのか。考えなきゃならない。
あなたは考えることができる。あなたにはまだ希望があると僕は信じてる。だから語りかけつづけるんだ。被疑者全員にこれだけ話すわけじゃない。見込みのない人は、もう機械的に、ロクに話もせずに起訴して終わりだから。でもあなたは違う。僕には分かるんだ。あなたを信じてる。あなたは房に帰ってお母さんに聞けばいい。どうすればいい、お母さん? って。お母さんが何て答えたか僕に教えてほしい……」