非常に似た描写が繰り返されながら、少しずつ異なる「怖さ」が語られる。兄についての描写は極めてあいまいなものだ。このあいまいさ自体が、麻衣さんが直面した兄の状況を示している。
兄の姿は、発作の直後は(瞳孔が開き、むくみもあったのだろう)「ショッキングな見た目」であった。「怖くて。帰ったら寝られない」ほどなのだ。病室で感じたはずの怖さはその場では語られないまま、夜、自室で色濃く浮かび上がる。生と死のあいだのあいまいさが、瞳孔が開いた目に表現されている。
しかしその後、兄は「回復」する。このとき「ショッキングな見た目」とは異なる怖さが生まれる。
「1回死んだ人みたいになった」兄が「どんどん人っぽく回復」していく怖さ
麻衣さん 結局、すごい結構どんどん人っぽく回復していって。その頃、私、子どもながらにやっぱ怖くて。(……)いろいろ取れていっちゃって、管とかも。「また管1本取れたよ、やったな」みたいな、(父の看病ノートに)書いてあって。
すごい、私はでも、親はそれはやっぱり純粋に喜んだけど、私は怖い気持ちもあって。だって、1回、死んだ人みたいになったのが、『死ぬ可能性もあったんだよな』って、『選択によってはこの人、死ぬ可能性あったんだな』と思うのが怖かったのと、なんかやっぱり見た目はもちろんすごい変わってるし。『どうなのかな』とか思ってて。それをでも、ずっと今でも考えてて、『何とかしなきゃなんない』と思ってて。『何とかしなきゃいけないけど分かんない』って。
父親は「絶対死なねえ」というのだが、麻衣さん自身も長期脳死の兄を「死んだ人」と見ているわけではない。「1回、死んだ人みたいになった」のが「どんどん人っぽく回復」したのだ。「死ぬ可能性あったんだな」と兄が〈生きている〉ことを前提とした語りになる。つまり、(死んだ人みたいになった兄が)生きているがゆえに怖いのだ。父は「生きようとしてる」という兄の意志を確信しているかのように積極的に接するのに対し、麻衣さんは生死のあわいにある兄が怖いため、表現が控えめだ。
「『どうなのかな』とか思ってて。それをでも、ずっと今でも考えてて、『何とかしなきゃなんない』と思ってて。『何とかしなきゃいけないけど分かんない』って。」という極めてあいまいな語りは、この時点では何について語ったのかも分からないが、麻衣さんはこのような表現しにくい現実を20年以上抱えていくことになる。
2回目のインタビューで、あいまいな語りの内実がだんだんと明らかになっていく。