「なかったかもしれないものを見ている」感じ
麻衣さん 多分、そこで本当にじゃ、「ここまでで生命維持装置をやめましょう」って。「延命やめましょう」っていうのを選択だってあったかもしれないって思ったら、その後の、兄の回復とかを見てても、親は手放しに喜んで、『すごいよ』ってなっているけど、でも、『これなかったかもしれないんだ』って思ったら、あそこでもし、やめてたら、これもなかったと考えると、世の中全体の脳死とかについての、死んでいる人の死だとかっていうことについて、すごい怖くなってきて、それはそれで別の問題として、『どう考えればいいのかな』と思って。
でも、それはずーっと考えていて、『怖いな』と思っていて。そういう、でも実際に、脳死の人からの臓器移植とかも行われているとか(……)(途中で積極的治療の中断)になっていて、そこでもやめていたら、なかったものを見ているみたいな。そういうのがすごい怖くてつらい。『うれしい』って普通に思えなくて、『なんかなあ』と思って。違った道を選んでいたら。だけど、『たまたま偶然こういう道を選んだから見えている生って、生命って、これって何なんだ?』。でも、打ち切られる可能性もものすごい細いものでもあり、すごい尊いものでもあるんだけど、それと対峙するっていうのは今だと、今考えると、すごい無理していたのかなと思います。
今でも、全然、整理つかなくて、『なかったかもしれないものを見ている』っていう感じがすごいあって。
1回目の語りでは「どうなのかな」とあいまいな表現だったのだが、この2回目のインタビューでは「(兄について)どう考えればいいのかな」「今でも、全然、整理つかなくて」と明示されるので、生と死のあいだにいる兄の姿についてのものだったということが分かる。
父親の「すごいよ」という言葉は死(に近い状態)を前提としているがゆえに回復が「すごい」ということだ。ということは、死を強く打ち消し続ける父親の言動も実は死を前提としつつそれを振り払うように反転した身振りだということが分かる。これに対して、麻衣さんは、意識がないチューブにつながれた兄の状態を、見えるがままで受け止めようとする。
ここには存在そのものに対する怖さとでも言えるものがある。麻衣さんは「そこでも(治療を)やめていたら、なかったものを見ている」ことが「すごい怖くてつらい」と話している。存在しないはずだった「生」、生死のあいだのあいまいな状態、脳死判定を受けていないがゆえにかろうじて「生」であるが、事実上は脳死状態であり生き返ることがない生、といったものをどのように考えたらよいのか。このような答えがない問いを子どもだった麻衣さんは立てている。
子どもであるがゆえになおさら、説明することができないあいまいな姿にそのまま直面し続け、怖さを感じている。父親が兄の姿を「生きようとしてる」という幻想によって、即座に覆い隠したのとは対照的である。この怖さは当時消化されず「今でも、全然、整理」がつかないままのものであるせいで過去形になることなく、「なかったものを見ている」「なかったかもしれないものを見ている」と現在形で2度語られるのだ。