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「日活ニューフェイス」に17歳で合格

 高校時代、最寄り駅の映画館に通い詰めるほど映画好きだった高橋は、たった一人で「映画倶楽部」を立ち上げる。部員はずっと一人だった。それでも大学ノートに、映画評を書き溜めた青年は、昭和36年、日活ニューフェイス5期生に応募し、見事に合格した。17歳だった。

「運が良かったんですよね。当時、人気絶頂だった石原裕次郎さんがスキーで骨折をなさった。また、赤木圭一郎さんが自動車事故でお亡くなりになられた。主演をはる方が2人も不在になっていた。赤木さんは4期生でしたから、ご健在でしたら、私が合格した『5期生』の募集はなかったかもしれません」

 初の主演作『激流に生きる男』がヒット。トップスターへと駆け上がるが、このとき、「ある弱点」が、高橋の武器となった。

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弱点を武器に任侠映画、時代劇へ

「あるとき、日活の首脳陣が集まって、『高橋英樹の今後の売り方をどうするんだ』と、話しあったらしいんです。『石原裕次郎や小林旭と、高橋はちょっと違うぞ』と。当時のプロフィールには、『身長』『体重』にくわえて、『股下』が記されていたんですよ。それを見た幹部の方が、『そうだ、あいつは足が短い。だったら着物を着せて隠すしかないな』といって、任侠映画に出演することになりました。あだ名は『ダックスフント』でしたけれどね(笑)」

 任侠映画で評価を高めた高橋は、NHK大河ドラマ『竜馬がゆく』において、武市半平太役で時代劇、初出演を果たす。その後、『桃太郎侍』『遠山の金さん』『三匹が斬る!』に主演し、スター街道を突き進んだ。

『遠山の金さん』では主演を務めた

「時代劇に出演するようになって、着物での所作を身に着けるために、日本舞踊の稽古に通い始めました。その時の師匠が、日本芸術院会員でもあった二代目尾上松緑さん。松緑師匠に言われたことを今でも覚えています。『名優に声のいいやつはいないんだよ。声にちょっと自信のない人のほうが名優になっているんだ。朗々と響き渡る声なんてなくてもいい。たとえしゃがれ声だったとしても、それを活かして、人の心の琴線に触れる演技をできるかどうかが大切なんだ。とにかく訓練! 一生、稽古だよ』、と」

 俳優という仕事にゴールはない。常に稽古、常に勉強――。高橋はこの教えを守り続けてきた。だからこそ、四半世紀以上にわたって、役者として活躍できているのだろう。

 そんな中、高橋は、テレビのバラエティ番組に出演。周囲を驚かせた。