「いちばんウケてんのに得票数はいちばん下」
福徳が証言するように、二人の漫才はNSC入学直後から、ほぼ形になっていた。漫才とは、言うなれば会話だ。特別な技術は必要ない。会話のセンスがあれば、ほとんどいきなりでも出来てしまう芸でもある。裏を返せば、おもしろい会話は、そのまま漫才にもなるのだ。
NSCでは常に抜けた存在だったプラス・マイナスは首席で卒業する。通知表のようなものがあるわけではないが、卒業公演のとき、トリを任されたグループが「首席」と認定される。
吉本の若手芸人の修業の場は「baseよしもと」だった。お笑いの聖地とも言えるなんばグランド花月(NGK)の向かいのビルの地下にあった。NGKは約1000席あるのに対し、baseよしもとの座席数は200席ちょっと。寄席とも呼ばれるNGK公演は劇場収益の柱だ。出演するには相応の実力を備えていなければならない。一方、baseよしもとは入場料が安めで、若手のための練習場といった趣があった。
ただし、そのbaseよしもとのプログラムに出るのにもオーディションを受けなければならない。審査員は観客で、そのほとんどは若い女性だった。プラス・マイナスは爆笑を取りながらも、しかし、そのオーディションで何度も落ちた。
兼光はこう憤る。
「いちばんウケてんのに、得票数はいちばん下みたいな。なんでやねん! って。人気がないのが悪いんやろうけど。もともと顔とかもよくないし、一浪して大学行ってるんで、ジャルジャルみたいに高校を卒業してすぐNSCに入ったコンビと比べると5歳も年上になる。なので、若手の劇場なのにオッサンがおるみたいに見られてたんです」
力はあるのに人気がないということが、不人気コンプレックスをより深いものにした。そして、その劣等感がM-1王者への渇望につながっていく。
M-1には紛うことなき夢があった。岩橋は、王者が一夜にして全国に名が知れ渡り、テレビ出演が急増しスターとなる光景を何度も目の当たりにしてきた。
「優勝したら人生が変わる。人気と、名誉と、お金を一気に手にできる。そんな舞台、M-1だけじゃないですか」
人気はなくとも実力は折り紙付きだったプラス・マイナスは、デビュー3、4年目あたりからNGKで出番をもらえるようになった。baseよしもとのオーディションで落ち、その足でNGKに出演するコンビなどプラス・マイナスぐらいだった。岩橋はそのときの状況をこう表現する。