12月18日、お笑い界最大のイベント「M-1グランプリ」決勝大会が開催される。今年も、4カ月にわたる熾烈な予選ラウンドを勝ち抜いてきた9組と、当日の敗者復活戦から這い上がる1組が、いちばん面白い漫才師になるために鎬を削る。一体、人生を変えるのはどのコンビなのか?
「笑い神 M-1、その純情と狂気」は、ノンフィクションライターの中村計氏が芸人・スタッフ80人以上の証言から「M-1グランプリ」の深淵と漫才師の狂熱に迫ったドキュメンタリー。「週刊文春」連載時から大きな反響を呼んでいたこの「笑い神」には、単行本に収録されていないもうひとつの物語があった。それが「笑い神」連載のきっかけにもなった記事、「敗者たちのM-1グランプリ プラス・マイナス『奇跡の3分』」(前・後編/2020年1月2・9日号、1月16日号)だ。決勝直前のいま、本作を特別に公開する(全4回の1回目/#2、#3、#4へ続く)。
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「今年初めてテレビで漫才を披露した」というミルクボーイが圧勝、一夜にしてスターとなった今年のM-1。だが実は昨年、ダントツの笑いを集めながら、スターの座に手を掛ける寸前で散った「才能の塊」がいた。一年間彼らを追いかけて見えた漫才師の光と陰――。
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圧倒の3分間だった。
「変な自信、ありましたからね。ほんま、いい意味で開き直ってたんで。ラストイヤーやからええやん、みたいな。絶対、行ったと思いましたね」
関西出身の漫才コンビ、プラス・マイナスの岩橋良昌(41)は、そう饒舌に振り返る。身長167センチ、体重90キロ超。岩橋はどこかユーモラスなコロコロとした体型をしている。
2018年12月2日。午後2時半から、東京港区はテレビ朝日の隣に設置された屋外ステージで、日本最大のお笑いイベント、「第14回 M-1グランプリ」の敗者復活戦がスタートした。出場者は、準決勝で敗れた16組。ネタ時間は3分だった。
新人発掘のためのM-1には、結成15年以内のグループという出場資格制限がある。高校時代の同級生だというプラス・マイナスの2人がプロデビューしたのは03年。つまり18年は、ラストイヤーでもあった。
敗者復活戦のために用意された会場は、漫才をする場所としてはこの上なく条件が悪かった。その日、屋外は10度近くまで冷え込んでいた。客の身体が凍え、笑いが起きにくくなる。また、声が拡散しやすく、ボソッと話すタイプの漫才師の声はほとんど後ろまで届かない。その上、車やバイクの爆音で、声がかき消されてしまうこともあった。
開始から約一時間が経過した。場内には、依然として、笑い切れていないという観客のフラストレーションが溜まっていた。
あっという間に残りは2組となった。16組中、15番目に登場したのがプラス・マイナスだった。彼らは一回戦から準決勝まで、すでに5度、舞台に立っていた。しかし敗者復活戦で選んだ「野球」と呼ばれるネタは、2018年のM-1では、まだ一度も披露していなかった。岩橋がその理由をこう語る。
「けっこう営業っぽいネタなんですよ。動きが大きくて、モノマネも入っていて、誰にでもわかりやすい。でもM-1は営業ネタではダメだという先入観があった。見たことのないような切り口の、新しい漫才じゃないとダメだ、と。でも、とろサーモンの久保田(かずのぶ)さんからも『野外やから大きく動けよ』ってアドバイスされてましたし、もう、このネタしかないやろう、と」
M-1の審査基準は「とにかくおもしろい漫才」とだけ書かれている。だが、芸人の間には、極端な役作りをしたキャラ漫才やモノマネを多用した漫才は評価されにくいといった定説が存在し、それはあながち的外れでもなかった。
マネージャーの宮下森資は、他のコンビにとっては不利な条件も、プラス・マイナスには追い風になると踏んでいた。