12月18日、お笑い界最大のイベント「M-1グランプリ」決勝大会が開催される。今年も、4カ月にわたる熾烈な予選ラウンドを勝ち抜いてきた9組と、当日の敗者復活戦から這い上がる1組が、いちばん面白い漫才師になるために鎬を削る。一体、人生を変えるのはどのコンビなのか?
「笑い神 M-1、その純情と狂気」は、ノンフィクションライターの中村計氏が芸人・スタッフ80人以上の証言から「M-1グランプリ」の深淵と漫才師の狂熱に迫ったドキュメンタリー。「週刊文春」連載時から大きな反響を呼んでいたこの「笑い神」には、単行本に収録されていないもうひとつの物語があった。それが「笑い神」連載のきっかけにもなった記事、「敗者たちのM-1グランプリ プラス・マイナス『奇跡の3分』」(前・後編/2020年1月2・9日号、1月16日号)だ。決勝直前のいま、本作を特別に公開する(全4回の4回目/#1、#2、#3から続く)。
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「出る前から『行けるんやろな』って」
12月2日、14時30分。いよいよ負けたら終わりの敗者復活戦が始まった。二人とも出番まで他のコンビのネタは一切、見なかった。岩橋が言う。
「性格上、他人がばーんとウケてるのを見るとプレッシャーになっちゃうんで」
ただ、ネタチェックを怠ると、他の組が野球ネタを披露しても気づかない。似たようなネタが繰り返されると、後のコンビは笑いを取りにくくなるケースも考えられたが、岩橋は泰然自若としていた。
「“かぶり”は気にしてなかった。かぶったとしても、僕らのネタの方が強いと思ってたんで。そこは不思議なくらい不安はなかった」
兼光も、経験したことのないような穏やかで、でも力強い流れを感じていた。
「なぜかわからないんですけど、出る前から『行けるんやろな』って。怖いものなしでしたね」
普段の岩橋は大舞台になればなるほど、出番前、兼光に対して、くどいほどに注意事項を繰り返す。
「僕はものすごい細かい性格なんで、あそこはテンション高く、あそこはゆっくり、あそこは足並みそろえてって、グダグダグダグダ言ってたんです。でも、敗者復活戦のときは、野外やからほんまは言いたいこといっぱいあったはずなんやけど、そういうことがまったくなかった。あんときはもう、“あとはやるだけモード”でしたね」
事前のネタ合わせも岩橋は要求しなかった。
「ネタは完全に入ってた。これまで練習してきたことが自然に出るのがいちばん。それ以上を求めると、また変なことになる」
直前の二人のやりとりは、ごく短いものだった。
「今日は楽しむだけやな」
「わかった」
「ただおもしろいもんなんですよっていうことを伝えたかった」
銀シャリの橋本直は、二人が出てきたときから、いい予感がしたと言う。
「緊張してるときの岩橋は顔がゴワゴワになっとるんですけど、それがまったくなかった。ほんまにリラックスしてましたね」