野球は本来、5分ほどのネタだ。敗者復活戦では、それを3分に縮めていた。決勝のネタ時間は4分あるので、泣く泣く削っていた爆笑シーンも盛り込める。岩橋の目には「優勝」の二文字さえ映っていた。
「野球の4分バージョンを思いっ切りやれば、今の勢いなら絶対最終決戦に行けるやろ、と。それで2本目は『消防士』で暴れ回る予定でした。ラストイヤー、しかも、敗者復活戦で勝ち上がってきたという流れなら……、マジで優勝が目の前に見えてましたね」
が、ネタ中は「審査員の目を気にせずできる」というアドバンテージになっていた視聴者投票という判定システムが、最終的には、不利に働いた。
敗者復活戦の上位2組は、プラス・マイナスとミキに絞られた。一位通過者を発表するのは、決勝が行われるスタジオにいる司会の今田耕司だった。2組は舞台の最前列に立っていた。
運命の一瞬――エントリーナンバーは1134番
運命の一瞬――。プラス・マイナスのエントリーナンバーは1134番。今田が「エントリーナンバー、2……」と発した時点で、二人は敗退を悟った。
正真正銘、二人のM-1が終わった瞬間だった。
岩橋は胸の前で組んでいた両手をゆっくり下ろし、両膝の上においた。白いスーツの上に黒いパーカーを羽織った巨体が魂の抜け殻のようになっていた。
「M-1は、僕らに最後まで厳しかったな、と」
事前の打ち合わせでは、落選したら「ぶぅ~っ!」と吹いて、大げさにそっくり返る予定だった。
「僕ら芸人やから、親が死んでも笑かさなあかん。だけど、ただただ、凹んでしまいましたね」
一方、相方の兼光は苦笑いを浮かべながら、呆然と立ち尽くしていた。
「岩橋が何にもしないんで、僕も普通にしてましたけど、このままほっといたら泣いてまうわと思って、グッとこらえてましたね」
芸人は普段、舞台上では道化師であり続ける。その仮面をいとも簡単に剥いでしまうのが、M-1という舞台だった。
得票数は、ミキは39万3189票、プラス・マイナスは37万5909票だった。視聴者投票は誰もが投票できるため人気投票になりがちだ。
二組の人気の差は、明らかだった。昨年秋、プラス・マイナスが金沢で単独ライブを開催したとき300席の会場が60席ほどしか埋まらなかった。一方、ミキは夏に同じ北陸の富山で単独ライブを開催し、約1100席が一カ月ほどで完売した。にもかかわらず、得票差はわずか1万7000票だったのだ。一票の純度を反映することができたなら、プラス・マイナスは圧勝していたに違いない。
だが、岩橋は潔かった。
「完敗ですよ。人気がないのも、自分らのせい。ルックスを言い訳にせず、化粧水でお肌を整えたりとか、2週間に一回は美容院に行ったりとかしていればよかった。そうすれば、この約2万票は埋まってたかもしれない。自分たちは腐ってた時期があるんですよ。どうせ人気ないし、と。劇場入りするときも髪はボサボサで。そんなことしとったら人気出ませんよ」
あきらめたことがあるのは人気だけではない。M-1も、だ。岩橋が続ける。