もともとこの土地で、両親が60年以上前から「バー 艶(つや)」を経営していた。それを平成元(1989)年に上中さんがダイニングバー「煮物や 艶(えん)」として引き継いだ。しかし、根っからのそば好きであったことから、昼間は老舗そば屋でそば打ちの修業をして腕を磨いた。その手打ちそばを出すと評判になった。そして平成14(2002)年、店は「蕎麦切り 艶(えん)」としてそば屋に生まれかわったというわけである。その間、松戸でそば打ち教室の師範代もしていたというから手打ちの達人である。
「米切り」が生まれた理由
さっそく「米切り」について質問すると、すぐにマシンガンのような回答が返ってきた。
「そば打ちは相当経験しました。十割そば、田舎そば、変わりそばも豆腐切りそばも、もちろん、うどん打ちも経験しその技術を習得しました。しかし、そばやうどんを生業にしていて、どうしてもひっかかることがありました。それはそばやうどんのアレルギー、うどんのグルテンの問題です。どうしても食べられない子供さんがいるわけです。これを何とかしたいと常々考えていたのです」と上中さんは話し出した。さらに上中さんは熱く続ける。
「どうすればいいだろうか……。そこで考えたのが国産米粉の麺を作ったらどうだろうか、ということだったのです。これを蕎麦打ちの仕事をしながらずっと研究していました」
つまり、上中さんは米粉を使えば、アレルギー問題を回避し、グルテンフリー対策もできると考えたわけである。
しかし、米粉の麺といえばビーフンなどが一般的である。最近は米粉にデンプンを入れて冷麺にして販売している米粉の乾麺などもある。そうしたレストランもある。こうした麺とあまり変わらないようにも思える。違いはあるのだろうか。
「自分もはじめそう思ったんですよ。ところが麺の太さ、茹で時間などいろいろ研究していくと、米粉100%でコシのあるおいしい麺が作れることがわかったんです。とにかく食べてみてください」上中さんは目を輝かせながらまくしたてた。そこで「米肉せいろ」を注文することにした。するとこれから茹でる「米切りの麺」を見せてくれた。まさに純白の麺である。
どんな麺が出てくるのだろうかと期待が膨らむ。待つこと5分、意外とはやく登場した。朱色のせいろに純白の麺が躍っている。つけ汁にはたっぷりのねぎと豚バラ肉などが入っている。