「母親だけは僕を信じてくれると思っていたのに、腹が立ちました……」
20歳青年は、なぜ両親をバットで撲殺しなければいけなかったのか? ノンフィクションライターの小野一光氏の新刊『昭和の凶悪殺人事件』(幻冬舎アウトロー文庫)より一部抜粋してお届けする(全2回の2回目/前編を読む)
*登場する人物名はすべて仮名です。
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両親の撲殺死体を発見した息子
「おばさん、おばさん、大変だ!」
昭和50年代の晩秋、関東地方某県Y市で飲食店を営む高山雅史一家の家に、近くに住む20歳の田中浩二が慌てて飛び込んできたのは、午前9時過ぎのことだった。
雅史の妻の康子が「どうしたの?」と聞くと、浩二は青ざめた顔で訴えた。
「父と母が死んでいる。一緒に来てください」
驚いた高山夫妻が、浩二とともに田中家に駆けつけると、父の和男と母の由美が、それぞれ寝室で枕元を血に染めて倒れていた。
「これは大変だ。警察に知らせたのか?」
雅史が浩二に尋ねると、彼は黙って首を横に振る。
「早く警察に知らせないとダメじゃないか」
雅史は浩二に向かってそう言うと、田中家の電話を使って110番通報をした。
その死亡状況から、誰が見ても明らかな殺人事件ということで、まず到着した所轄のY署員によって現場保存の措置が取られてから、続々と本部の捜査員たちが臨場したのだった。
夫妻の死因は…
田中夫妻の死因はともに脳挫滅(のうざめつ)で、凶器は角のない鈍器のようなもの──。
解剖の結果から、そのような死因が割り出された。
和男の死体は6畳間のほぼ中央に敷かれた布団の上に仰向けとなり、頭頂部と足先をわずかに出した状態で掛布団に覆われていた。
また、由美の死体はその奥の8畳間の中央に敷かれた布団の上に仰向けに横たわっており、和男と同様に掛布団をかけられ、頭頂部と足先をわずかに出した状態だった。
和男の部屋に置かれた財布の中身はなくなっており、物色されたものと考えられたが、納戸内のタンスやその他のタンスの引き出しは、さほど物色の形跡が見当たらず、ただ開けられただけだと推測された。
事件があった夜、被害に遭った田中夫妻以外には、次男の浩二しか家にいなかったため、彼を検証に立ち会わせながら、事情聴取が行われた。
浩二によれば、事件前日は和男が朝からゴルフに出かけ、由美は習字の稽古のため家を空けていた。兄の修也は会社に出勤しており、浩二が1人で家にいたという。夕方になって由美が帰宅し、午後11時過ぎには和男が帰ってきたが、兄はまだ帰宅しておらず、本人は翌日に予備校があるため、午前0時半過ぎに就寝。翌朝目覚めて両親の死体を発見したというものだった。