『少年ジャンプ』が600万部売れていた時代。仕事は楽しくてしょうがなかった
――漫画がお好きだったわけですけれども、『D菩薩峠』にも書かれていましたが、ご自身で漫画家になりたいとは思わなかったのですね。
藤野 それはなかったですね。描くのは大変だろうというのと、絵があんまりうまくなかったというのもあったので。
――それで、漫画の編集者になりたい、と?
藤野 そうですね。当時のことですが、世の中の人って「漫画の編集やってます」というと「描いているんですか?」って案外聞いてくるんですよね。それで、そうか、編集って言葉もあんまり世間的には伝わらないのか、と思ったりもしていました。だから、そういう編集の仕事に興味を持った時点で、やりたかったんだろうな、とは後で思ったことがありますね。
――漫画の編集者って、一緒にストーリーを作ったりする方も多いというイメージがあります。
藤野 私のいた編集部では、部員が別名義で原作を書くこともありました。あとは担当として漫画に登場したり。その頃、青年漫画誌によく登場する名物編集者といったら、この本にも出てくる双葉社のS野さんという方がいました。今回の本のインタビューで双葉社に行った時にS野さんにもお会いしていろいろお話できたんです。本当に久しぶりに当時の漫画編集者らしい編集者にお会いできて面白かったです。あと、今の漫画アクション編集長にもお会いしました。本当はアダっちと永井豪さんの話がしたかったみたいですが(笑)。
――実際に漫画編集者になって、いかがでしたか。
藤野 楽しさにとらわれましたね。こんなことしてお金もらっていいのかな、というのがありました。漫研の同人誌づくりで入稿作業っぽいことはしていましたが、それはもちろん趣味でやっていたことですよね。それと同じようなことをして、しかもさらに人をまきこんで大袈裟なことをして、それでお金がもらえるってすごいなって本当に思いました。笑いが止まらなくなっちゃいました(笑)。パソコンがない時代なので、文字盤の写植を見ながら切り取って貼り込んだりとか、自分でレイアウトを作ったりするのも楽しくてしょうがなくて。
――深夜勤務も多くて、家族に呆れられる場面もありますね。
藤野 そういうのが楽しい仕事だと思ってやっていたんですが、「それ、つらくない?」と言われることもありましたね。「そんな遅くまで会社にいて虚しくならない?」と言われても、こっちは夜、漫画の原稿を待って会社にいるのは全然楽でした。終わったら朝帰って、次の日はそのまま休みなんていうこともありましたし。「決まった時間に行って決まった時間に帰るほうが楽じゃない」と言われると、こっちはそれができないから、向き不向きがあるんだろうなと思いました。
――読みながら、当時は漫画の勢いがすごかったんだなあ、と改めて思いました。
藤野 そうですね。売れている雑誌は売れていましたからね。『少年ジャンプ』が600万部売れていた時代ですからね。