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仕事を辞めた時に一回距離を置いたけれど、ずっと漫画が支えだった

――小笹さんのパートで、この時代にこんな漫画が流行していたのかなどと分かる楽しみがありました。それに現代のパートで、トキワ荘のあった場所に見学に行く話などが盛り込まれるため、漫画史を振り返るような気分でも読めました。

藤野 漫画への愛情が冷めたことはないんですが、漫画編集の仕事を辞めた時に一回距離を置きました。そういうことも思い出しながら、「そういえばずっと漫画が支えだったんだな」と、今の位置から見ることでどんどん思い出し、連載中に本当に、手塚先生熱が再燃して、読み直したり、グッズを買っちゃったりしています。

――何年何月ということや、この頃にこういう事件が起きた、ということを書いてくださっているので、ああこの時期に岡崎京子さんが出てきたんだな、などと分かりますよね。「ああ、この年自分はこうだった」と自分の過去と照らし合わせながら読む楽しみもありました。

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藤野 そういうふうに読んでいただけるとすごく嬉しいですね。同時代を経験していれば楽しめるし、そうでない方も「こういうことがあったのか」と思いながら読んでくださると。私自身が小林信彦さんの『夢の砦』という、60年代の出版やテレビの世界を描いた半自伝的なマスコミ小説がすごく好きで。あれはちょっと時代をずらしたり重ねたりしているみたいなんですけれど、その中に自分が分かることと分からないことがあるのが好きだったんです。全部が分からなくても、自分の知っているこれとこれがここで繋がるんだ、というのを想像しながら読むのが好きだったんです。なので、そういうふうに読んでもらえると一番嬉しいかなと思って書いたところはあります。

ずっと避けてきた会社のあった神保町を久々に訪れて……

――作中の笹子さんもJ保町に行くのは勇気が要ったようですが、藤野さんご自身も神保町を久々に訪れるのは勇気のいることだったのですか。

藤野 ほんとに勇気が要りましたね。それまでは神保町にある会社と仕事をしていても、打ち合わせは神保町には行けなかったですからね。「ちょっと鬼門なんで」と断ったりしていました。これを書くと決めたので、あえてその苦手な場所に行くことで何かを思いだしたり、自分の中で変化があるかなと思って行ったんですけれど。でも結局、嫌な部分よりも楽しい部分をいっぱい思い出せたのでよかったです。あとは、本を買う時にやっぱりこの町はすごいなと思いましたね。漫画を買うのに、店員さんの知識もすごくて、この店になかったらあっちの店にはある、とか言ってくれて。そういう意味での便利さが好きな町だったなと思い出しました。

 本が出てからも、一度足を運びました。神保町の書店さんが、自分の町が舞台なのでたくさん置いてくださっているということで、サイン本を作りに行ったら、ワゴンに置いてすごく大きく扱ってくださっていて。こっちが遠ざけていた町なのによくしていただいて、嬉しかったです。「その時“おかえり”って言われた気がしました」というフレーズをあちこちで言いすぎたせいで、「もう今日の取材では言わなくていい」ってアダっちに言われてきたんです(笑)。

――結局今、言いましたね(笑)。ところで神保町のランチの話もたくさん出てきますよね。やっぱり神保町といえばカレー店が多いですよね。

藤野 そうなんです、それで、この本の表紙の色は最初ピンクで可愛くて気に入っていたら、色校の段階で「黄色になりました」って。理由は、カレーがいっぱい出てくるからって。

――あ、この表紙の色はカレー色なんですか!(笑)

藤野 いろいろ描きこまれている人たちがカレーの具みたいだし、って。確かにいろんなものを詰め込みたいなと思って書いたんです。筋道立っているところからは外れちゃうかもしれないんですけれど、大きな出来事よりは、漫画家の人との付き合いなどでも、私が書かなきゃ絶対消えるだろうなという小ネタ的なものは、あると逆に面白いかなと考えました。人の本を読んでいても、そういうものを知ると得した気分になるので。

瀧井朝世さん ©榎本麻美/文藝春秋

――梶原一騎から刊行された作品の中の漢字が間違っていると指摘の連絡があって、どうして間違いが起きたのかと話す場面は謎解きのようでしたよね。蛭子能収さんは売れた後でも必ず「描かせていただきます」って腰低くおっしゃるとか。

藤野 私も実は、小説家になってから依頼を受けると「書かせていただきます」と答えるようにしていて、それは蛭子さんをパクッてます(笑)。

藤野千夜さん ©榎本麻美/文藝春秋

藤野千夜(ふじの・ちや)

1962年福岡県生まれ。千葉大学教育学部卒。95年『午後の時間割』で第14回海燕新人文学賞、98年『おしゃべり怪談』で第20回野間文芸新人賞、2000年『夏の約束』で第122回芥川賞を受賞。

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※「作家と90分」藤野千夜(後篇)──スカートをはいて出社し、解雇されるまでの内なる戦い──に続く bunshun.jp/articles/-/5967