ケティの事件が起訴になって、次の事件に移っても、途中で取調官を代えることはしなかった。それが捜査一課の伝統だからだ。被疑者と日々対峙してお互いに気心が通じ合い、信頼関係を作り上げる。過去の経験則から、それが最良の方策であることも有働は知っていた。
しかし、ルーシーの所在は依然として摑めていない。この事件はイギリス政府も関心を寄せている。日本の外務省や官邸も事件の早期解決を強く望んでいる。上層部から漏れ聞こえてくるそうした声には、捜査に対する焦りが色濃くにじんでいるように思えた。
犯人の母親の言い分
新妻管理官と副島警部補、西巡査部長らは、織原の育った大阪に飛んだ。
特別捜査本部の前線指揮官自ら織原の母親と会い、息子に自供をうながすよう何とか説得するつもりだった。
母親が指定する大阪・阿倍野駅に近いホテルで、新妻は織原の母親と会った。
「息子は無実です。どうして警察は無実の息子を逮捕したのか」
開口一番、母親は捲くし立てた。
母親は、自分が雇った複数の弁護士から報告を受けていたのだ。自慢げに、1人当たりの弁護士報酬は3桁に及ぶと言い放った。
「どれだけお金がかかろうと、泣いている息子を助けるのが母親と違いますか」
独身の織原が対価を払って女遊びをする。性的に変わったやり方でも、双方が納得した方法ならば問題はないし、法律に触れるとしても、相手の女性に対して慰謝料を払って納得させれば、そんなに大袈裟なことにはならないはずだ、と言う。
新妻は、そんなことは無駄だからやめたほうがいい、と諭したが頑として自説を曲げない。事件内容を客観的に話しても、弁護士からの報告を真に受けた母親は、あくまでも息子は無実だ、と言い切って憚らない。
雑談では、家の近所に有名な作家が住んでいて、作家本人だけでなく奥さんとも親しく、その後援会組織の役員を引き受け力を入れている、とにこやかに話す。そうした姿は、どこにでもいる老女のそれだった。
しかし、新妻の約3時間に及ぶ説得は徒労に終わった。
諦めるか、と心の中で呟き、後は副島たちに託して重い足取りで大阪を後にした。