2002年、人気バラエティ番組『学校へ行こう!』(TBS系)の名物コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」に登場し、「そうだよアホだよ♪」のフレーズで一世を風靡した軟式globeのパークマンサーさん(44)。

 パークさんは『学校へ行こう!』を降板したあと俳優活動を始めるものの、ブレイクせず。家賃が払えず東京に住めなくなった彼は、地元・富山で農業を始めることになる。しかしいったいなぜ、農業なのか。パークさんにその理由を聞いた。(全3回の3回目/2回目から続く)

パークマンサーさん ©末永裕樹/文藝春秋

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友達から家賃3万円の畑付きの家を紹介してもらい、飛びつく

――2017年まで俳優としてブレイクせず、どん底生活を送っていたパークさんは、陶芸教室がきっかけで「世界一のニンジンを作ろう!」と思い立ったそうですね。

パークマンサーさん(以下、パーク) 東京で住んでた部屋の家賃が払えなくなったので、引っ越さなきゃいけなくなって。でも都内だと家賃も敷金礼金も払えないから、友だちに「関東近郊の家で、どこか空いてるところを知らない?」と声をかけたんです。

 そしたら、ある友だちが「うちのばあちゃんちが空いてるよ」と連絡をくれて、家賃3万円の畑付きの家を紹介してくれました。そのときには、陶芸教室がきっかけでニンジンを作りたいと思っていたから、すぐに飛びつきましたね。

――家賃3万円で畑付き。破格ですね。

パーク でもいざ家に行ってみたら、ゴミ屋敷状態で。それはそれで大変でした(笑)。でもその家でやりたかった畑を始められたので、よかったです。そういうめぐり合わせには恵まれているんですよね。

――畑はどれくらいの大きさだったのですか。

パーク 1反くらいありました。少し大きめの家庭菜園的な感じですね。そこで、5歳まで馬に育てられていたときに食べていたニンジンを作り始めました。

――現在は地元の富山で農業をしていますよね。富山に戻ろうと思ったきっかけは?