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俳優転身も金ナシ・家ナシで「プロポーズした彼女に逃げられた」…パークマンサー(44)が明かす『学校へ行こう!』後の“どん底生活”

パークマンサーさんインタビュー #2

2022/12/31

genre : エンタメ, 芸能

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 2002年、人気バラエティ番組『学校へ行こう!』(TBS系)の名物コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」に登場し、「そうだよアホだよ♪」のフレーズで一世を風靡した軟式globeのパークマンサーさん(44)。

 しかし、人気者だったパークさんは1年足らずで『学校へ行こう!』に出演しなくなる。その後、俳優の道に進んだ彼を待ち受けていたのは、苦難の日々だった。『学校へ行こう!』出演終了後、いったい何があったのか? パークさんに真相を聞いた。(全3回の2回目/1回目から続く)

パークマンサーさん ©末永裕樹/文藝春秋

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『学校へ行こう!』に出演していた期間はわずか9ヶ月間

――2002年6月に『学校へ行こう!』の「B-RAP HIGH SCHOOL」に出演してからは、ほぼ毎週のようにテレビで拝見していた気がします。

パークマンサーさん(以下、パーク) 「B-RAP HIGH SCHOOL」は隔週の放送だったので、月に2回は『学校へ行こう!』に出ていましたね。初登場の時以外は、いつもトリを任せてもらっていました。

 

――でも調べてみると、意外と出演されていた期間は短いのですね。

パーク たしか9ヶ月間くらいだったと思います。

まだ人気があるうちに俳優の道に進みたいと考えていた

――あんなに人気だったのに、なぜ出演しなくなったのでしょうか。

パーク 2002年9月の途中くらいから「おもしろくない」と言われ始めてしまって、実際にウケなくなってきたんです。だから10月からは「もうダンスでごまかすしかない!」と思って、激しい動きをするようになった。そのせいで首を痛めて、包帯を巻いて出たこともありました。

 それでも人気が戻らなかったから、2003年1月からは曲も変えたんです。けど、それが見事にコケてしまって。その年の3月で、番組からフェードアウトしました。

 僕自身は、「おもしろくない」と言われ始めたときから「そろそろ辞めたいな」と思っていたので、正直よかったと思っています。

――あれだけ人気があったのに、辞めるのはもったいないような気もします。

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