「同性愛を連想させる」として放送禁止に
t.A.T.u.は、2000年にロシアでデビューし、2002年に初めて欧米向けにリリースした「オール・ザ・シングス・シー・セッド」が大ヒットする。日本でもデビューアルバム『t.A.T.u.』はオリコンチャートで初登場1位と、洋楽アーティストのデビューアルバムでは歴代初の快挙を達成した。
ビジュアル面でも注目され、衣装は日本の私立校の制服を連想させるチェック柄のプリーツミニスカートとネクタイ、ミュージックビデオでは2人がキスをする場面があり、イギリスでは同性愛を連想させるとして公共放送のBBCが放送を禁止した。ロシア本国でもモスクワの赤の広場で無許可でMV撮影をして警察に連行されたり、大統領選への出馬を表明するなど、世の中を挑発するような過激な言動で話題を呼ぶ。
ただ、大ヒットした最大の理由はやはり曲のよさだと、当時、音楽プロデューサーの亀田誠治が指摘していた(『日経エンタテインメント!』2003年8月号)。英語で歌われる「オール・ザ・シングス・シー・セッド」は、サビにR&Bでは定番中の定番の“泣き”のコード進行を用い、しかもそのサビではものすごい量の言葉を詰め込んだフレーズがリフレインされ、一度聴いたら耳から離れない。それに加えて、デジタルのダンスビートだったからこそ、t.A.T.u.は社会現象になるほど売れたのだと亀田は分析する。
騒動の陰に「ロシア人プロデューサー」が
世界デビューにあたりサウンドプロデューサーにイギリスのミュージシャン、トレヴァー・ホーンを迎えたのも、ヒットした要因のひとつであった。ホーンは、自身のバンド・バグルスの「ラジオ・スターの悲劇」をはじめ、イエスやペット・ショップ・ボーイズなど多くのアーティストをプロデュースしてヒットさせてきた人物だ。
ただし、結成以来、彼女たちをプロデュースしてきたのはイワン・シャポワロフというロシア人で、一連の騒動も彼が話題づくりのため仕掛けてきたものだという。2人が『Mステ』をドタキャンしたのも、シャポワロフから電話で指示を受けたためで、当時10代だった自分たちには抗うことができなかったと、後年、本人たちが告白している(「The Asahi Shimbun GLOBE+」2021年11月15日配信)。
しかし、シャポワロフの路線にやがて彼女たちも反発するようになり、『Mステ』ドタキャン騒ぎの翌年には、彼とのプロデューサー契約を解除する。このあと、新たなプロデューサーを迎え、2005年には日本の人々に対する謝罪の意を込めて「ゴメンナサイ」という曲を発表するなどしたが、2011年に一旦活動を休止。レナはソロ活動に転じ、その年起きた東日本大震災では、チャリティー曲をつくってネットで販売し、収益金を震災遺児らに寄付している。
t.A.T.u.はその後、再結成と休止を繰り返す。この間、2013年には、CM撮影のため再度来日している。『Mステ』ドタキャンの真相について、彼女たちが個別に日本メディアの取材を受けて語ったのもこの年である。翌2014年にはソチ冬季五輪の開会式にそろって出演し、歌を披露した。さらに2021年、レナが日本テレビ系のトークバラエティ『今夜くらべてみました』にロシアからリモートで出演し、改めてドタキャンの真相を語るとともに、日本の人たちに謝罪を述べている。現在も音楽活動を続けているという。