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ロシア国民に“希望”を与えたわけ

 t.A.T.u.が登場したのは、現在のロシアの前身であるソ連の崩壊から10年後のことだ。その間、ロシアの音楽業界にもアメリカや日本と同じ商業主義的なものが根付いていった。それがようやくこのころ花開いたというわけである。

 ソ連崩壊は一方で政治や経済の混乱を招き、社会は疲弊し、人心の荒廃をも招いた。そのなかで、一時的とはいえ世界的なスターとなったt.A.T.u.は、ロシア国民に一縷の希望を与えたという。彼女たちと仕事したこともあるロシアの音楽業界に詳しい関係者のひとりが、日本メディアの取材のなかで語った《タトゥーはロシア人の愛国心に刻まれる存在であり、私たちが自尊心を維持するために必要だった》との言葉に、あの時代の彼女たちの存在意義が集約されている(「The Asahi Shimbun GLOBE+」2021年11月15日配信)。

第22回冬季オリンピック・ソチ大会の開会式に登場 ©文藝春秋

 ロシアではつい最近(2022年12月)、同性愛に関する情報の拡散などを禁止した法律をさらに強化する改正法にプーチン大統領が署名し、成立した。プーチンには、ロシアがウクライナに侵攻後、ますます対立を深める欧米の影響力を排除し、また伝統的な価値観を強く打ち出す狙いがあると見られる。彼の体制のもとでは、これ以前より表現や言論の制限が強められてきた。t.A.T.u.がデビューしたのはまだプーチンの大統領1期目だったが、いまとなっては、彼女たちのように欧米の音楽の影響を強く受け、ましてや同性愛のイメージを取り込んだアーティストがロシアから出てくることはもはや不可能だろう。その意味でも、t.A.T.u.は同国の一時代の象徴であった。