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2003年の日本

タモリが「あれを超える出来事はない」と断言…『Mステ』ドタキャン騒動の「t.A.T.u.」が“ロシアの希望”だったワケ

タモリが「あれを超える出来事はない」と断言…『Mステ』ドタキャン騒動の「t.A.T.u.」が“ロシアの希望”だったワケ

『Mステ』出演拒否の衝撃から20年

2023/01/02

genre : エンタメ, 音楽

note

テレ朝に抗議が殺到

 結果的に番組は盛り上がったとはいえ、テレビ朝日には視聴者の抗議や問い合わせが殺到する。同局は翌28日、プロデューサー名でファンに謝罪するとともに、t.A.T.u.側に「プロモーション方法だとすれば、失望と怒りを禁じえません」などと抗議するコメントを出した。ユニバーサルミュージックも、この日東京・青海のZepp Tokyoで予定していたライブイベントを「t.A.T.u.側とのあいだに見解の相違が生じた」として急遽中止する。

 さらに6月29日には、初来日の本来の目的であったミュージックビデオの撮影が、銀座と秋葉原の歩行者天国などで予定されていた。このために事前に若い女性を対象に3000人のエキストラを募集したところ、10倍以上の応募があったが、警察や関係各所から撮影許可が降りなかった。その日の午後、t.A.T.u.の2人は突然、銀座に現れ、一時騒然となる。2人は観衆からサインを求められると気さくに応じつつ、カラオケ店に入り、報道陣を前に『Mステ』で歌うはずだった「オール・ザ・シングス・シー・セッド」を披露。これが彼女たちがこの来日時に歌った唯一の機会となる。

 このあと、日本テレビ系の報道番組『バンキシャ!』に生出演したのち、夜には記者会見を開く。『Mステ』ドタキャンの理由について2人は「日本のスターに囲まれ、自分たちが邪魔者みたいに感じた」などと弁明し、さらにロシア人のプロデューサーが《番組について、事前に詳しい説明がなかった。イメージを崩さないため歌わないということは、よくあることだ》と続けた(『読売新聞』2003年6月30日付朝刊)。しかし、報道陣からは謝罪の言葉がないと批判を浴びる。

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©時事通信社

大失敗に終わった東京ドーム公演

 こうしてさんざん騒がせたあと、彼女たちは翌30日に帰国する。その後、12月に2日にわたって東京ドームでライブを開催することになり、そのプロモーションのため早くも10月に再来日し、都内の大学の学園祭に飛び入りしたり、前出の『バンキシャ!』に当時の小泉純一郎首相と民主党の菅直人代表が生出演しているところへ2人がハンディカメラを手に“乱入”し、握手を交わす一幕もあった。

 だが、初来日時のお騒がせぶりが災いしてか、ライブのチケットは売れず、初日の観客動員数は定員の半分にすぎない2万5000人(公式発表)と、アリーナでさえ空席が目立ったという。それでも、熱心な若い女性ファンがt.A.T.u.のコスプレをするなどして集まった。観覧した音楽誌のライターのレポートによれば、《5台の巨大スクリーンを駆使した演出といい、ジュリアとレナのパフォーマンスといい予想以上にしっかりとしたステージだった。とくにあのアルバム・ジャケット(引用者注:デビューアルバム『t.A.T.u.』)そのまんまのミニスカート姿のタトゥー・ガールズ150人が花道を行進するラストは圧巻で》あったという(『TONE』2008年1月号)。