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「黒人の先生からレッスンを受ける中で、MISIAさんは『頭で歌うのではなく、心で歌う』ことを学んだそうです。大学に入学して間もなくの5月にオーディションを受け、8月にはもうレコード会社が決定。1998年、19歳で“メシア(救世主)”と“ASIA(アジア)”をかけたMISIAの名で、『つつみ込むように…』でデビューすると瞬く間にスターダムを駆け上がり、日本のR&Bブームの火付け役となったのです」

 2021年に行われた東京オリンピック開会式では国歌を独唱し、世界を魅了したMISIA。 “国民的歌手”と認められるようになった背景には、彼女が音楽活動だけでなく、子供の教育支援やアフリカへの支援など、社会貢献活動を積極的に行ってきたことも関係しているだろう。MISIAが世界の社会問題に関心を寄せるようになったきっかけもまた、対馬時代にあるのだという。

2018年、アフリカ開発会議(TICAD)閣僚会合レセプションに出席。名誉大使に就任した ©時事通信

「私が戦争をさせない大人になる」子ども時代に綴った思い

「MISIAさんが小学生の頃に、世界では湾岸戦争が勃発。当時のテレビのニュースで兵士の死者数よりも子供のほうが多く亡くなっていると知り、作文に『私は子供のまま死にたくない。私が大人になるまで戦争はしないで。私が戦争をさせない大人になるから』と綴ったそうです。

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 また同じ頃、ゴスペルやソウルといった音楽への興味を深める中で、アフリカの飢餓や貧困問題を知った。自分と同じ子供がなぜ、そのようなつらい環境に身を置かなくてはいけないのか。MISIAさんにとって、世界で起きている戦争や貧困という問題は決して他人ごとではなかったのでしょう」

 2022年はロシアとウクライナによる戦争が始まった「戦」の年でもあった。

2003年にはすでに「No War」を掲げて活動していた

「MISIAさんもウクライナの人々が置かれた状況に心を痛め、チャリティTシャツを販売するなど、日本からできる支援に取り組んでいました。紅白で披露した新曲、『希望のうた』の<握りしめているもの 希望というもの 誰にもわたさない 誰にも奪えない>という歌詞には、平和への希望を捨てないでという、MISIAさんのメッセージが込められていたように感じました」

 MISIAは前述のインタビューで「歌って人の幸せを願うこと」と語っている。第二次世界大戦の犠牲となった長崎県の離島、対馬で暮らした “平成の歌姫”は、令和の時代も平和を願って歌い続ける。