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 そもそもKARAは、デビュー直後からメンバーの脱退と加入を繰り返してきた。累計のメンバー数は7人だが、さまざまな構成で存続してきた。

 なかでも「黄金期」と呼べるのは、2008年夏以降だ。ギュリ、スンヨン、ニコルのデビューメンバーに、ハラとジヨンを加えた5人体制のときだ。2014年まで6年続くこの「第2期」が、日本でも馴染みのある姿だろう。

日本でも活躍した「黄金期」のKARA ©AFLO

 だが、途中にはトラブルもあった。2011年1月、所属プロダクションのDSPメディアに対し、スンヨン、ニコル、ジヨンの3人が待遇を理由に契約解除を申し出て裁判沙汰に発展した。3か月ほどで事態は収束したが、その2年前の東方神起の分裂もあり、韓国芸能界の負の側面が日本でも知れ渡ることとなった。

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 元の鞘に収まってその後も活動を続けたKARAだったが、2014年にニコルとジヨンが脱退。新たにヨンジを加えた4人体制(第3期)で2年ほど活動を続けるものの、2016年にはヨンジ以外の3人がDSPメディアとの契約を解消する。ギュリとスンヨンはKARAの解散を否定したが、実質的に解散状態だった。

 そして2019年11月には、ハラが突然この世を去った。当時ハラは、日本でのソロ活動を本格化した直後でもあり、多くの悲しみを巻き起こした。

 KARAの復活はこの時点で絶望的に思われた──。

 

事務所とのわだかまり、ハラの死…それでも“復活”できたワケ

 DSPメディアとのわだかまりと、ハラの死──今回のKARAの復活は、そうした大きなハードルを乗り越えたうえでのものだ。今回の第4期・KARAは、ハラを除く3人と、脱退していたニコルとジヨンが復帰するかたちでの5人体制だ。

 それを可能にしたその最大の要因は、運営会社のDSPメディアの体制が変わったことにある。2022年1月、RBW社がDSPメディアを買収した。RBWは、ガールズグループ・MAMAMOOを大ヒットさせたプロダクションだ。

 ここ5年ほど、韓国の芸能界では芸能プロダクション(韓国では「企画会社」と呼ばれる)のM&Aが非常に目立っている。その筆頭はBTSの所属するHYBEだが、RBWも2021年にOH MY GIRLなどの所属するWMエンタを買収し、そしてDSPメディアも傘下に収めた。メンバーにとって訴訟沙汰にもなった過去のわだかまりは、こうした体制の変化によって払拭されたと見られる。

 そもそもKARAの活動は、商標を保持しているRBWの許諾なしにはありえない。つまり、RBWはメンバーが他社に所属するにもかかわらずKARAの活動を許容した。むしろこの復活は、M&Aによって新たに保有した音楽IP(知的財産)のなかでももっとも価値のある「KARA」ブランドをRBWが積極的に運用することが目的と捉えられる。

8人中3人が他事務所…活動再開した少女時代

 2022年8月の少女時代のカムバックも、これと同じ考え方だ。少女時代の所属プロダクションであるSMエンタは、8人中3人が他のプロダクションであるにもかかわらず、少女時代の活動再開を認めた。東方神起など、過去の「奴隷契約」問題ではその中心にいたSMエンタは大きくその姿勢を改め、コンテンツの積極運用の道を選んだ。