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 片山にとってひとつの転機となったのが2010年に受けたあるインタビュー取材だった。
 かつてプロレス専門誌の『週刊ゴング』編集長をつとめた金沢克彦氏(現・プロレス評論家)の取材に応じ、1992年の事故以来、初めてメディアの前で自身の心の内を告白したのである。

「この取材には、ケガをしたときからずっと交流のあった新日本プロレス同期の大矢剛功さんも同席してくれました。それまで、車いすの自分をできるだけ見られたくないという気持ちで、引きこもりのような生活をしていたところ、金沢さんの書かれた原稿が多くの人に読まれ、そこから地元で講演の依頼も入るようになったのです。見違えるように明るくなり、表に出ていく勇気のようなものが芽生えたように見えました」(京子さん)

新日本プロレス時代の片山さん ©山内猛

 2014年9月、片山は新日本プロレスの岡山大会を観戦している。プロレス会場に入るのはアクシデントのあった1992年以降初、実に22年ぶりのことだった。このとき、片山はかつての同僚だった獣神サンダー・ライガーや鈴木みのるらと再会を果たしている。

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「大ケガをしたプロレスラー」というイメージが、ファンと業界にマイナスのイメージをもたらすことを、片山は懸念していた。長年、片山の心に刺さっていた棘を抜いたのは、金沢氏の取材であり、かつてともに道場で汗を流した選手たちだったことになる。

「猪木さんの教えですよね。勇気をもって一歩を踏み出せば、道が開けるという……あの言葉は、本当に心の支えになっています」(片山)

東京ドームを訪れた際に、恩人の坂口征二さんと

「時代が、私たちの悩みや苦しみを過去のものにしてくれました」

 京子さんがもうひとつ、感謝を口にした。

「時代が、私たちの悩みや苦しみを過去のものにしてくれました」

 京子さんはかつて専業介護に従事していたが、いまは看護師として再び医療の現場で働いている。京子さんの母も介護を手伝ってくれるほか、さまざまな福祉サービスを活用することで、社会人としての自分を取り戻した。

「まず、ヘルパーさんやデイサービスを利用することによって、すべての介護を1人でこなす必要はなくなりました。ショートステイを利用すれば、短い旅行に出かけることも可能です。こうした情報が整備され、一般の人々に認知されるようになったのも最近になってからのことです」

 介護者の負担を減らす選択肢が増えたことにより、「自分の人生を犠牲にして介護をする」という考えは過去のものになった。それは時代がもたらした恩恵である。