新日本プロレス、SWSのリングで活躍したプロレスラー・片山明(58)が頸椎を損傷する事故に見舞われたのは、いまから31年前のことである。
1992年1月8日、大阪府立体育会館で行われたタッグマッチに出場した片山は、試合中に得意技としていたトぺ・スイシーダ(場外への飛び技)を敢行。その際、場外マットに頭から落ち、病院に緊急搬送された。第4頚椎を脱臼骨折する重傷だった。
肩から下を動かすことができなくなった片山はいま、妻の京子さん(56)、義母とともに生まれ故郷の岡山県で暮らしている。
「もう、あれから30年以上にもなるんですね」
妻の京子さんが語る。ここまで、四肢麻痺となった夫の介護を続けてきた。
「何かお話しできるようなことがあるとすれば、私の考えというよりも、これまで私たち夫婦を支えてくれた方々に対する感謝の気持ちになると思います」
「鈴木みのる選手がすぐに新人をやめさせるもんだから…」
ホットコーヒーが8分目まで入ったマグカップを、京子さんが片山の口元に運んだ。寸分の狂いもなくカップを傾け、一口飲んだところで戻す。京子さんの職業は看護師だ。一切の無駄がないその動きが、30年の星霜を感じさせる。
「受け入れがたい困難に直面したとき、その現実をどう受容すればよいのか」――それは人間にとって普遍のテーマである。洋の東西を問わず、あらゆる宗教者、哲学者がその解を求め続けてきた。
仏教が説くように、この世の一切は苦に満ちているのか、それとも違うのか。30年以上にわたり介護を続けてきた京子さんに、人生における受容の極意について取材のお願いをしたが、その結論は「他者への感謝」であるという。
その「感謝」の意味を知るために、まずは片山家の夫婦の歴史を振り返っていただいた。
片山明は1964年生まれ。岡山県立東岡山工業高校を卒業後の1985年、アントニオ猪木率いる新日本プロレスに入団した。前年に「闘魂三銃士」と呼ばれた武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也(故人)が入団しており、彼らとは将来のスター選手を夢見て切磋琢磨する関係だった。
「私が入団した2年後に鈴木みのる選手が入ってきたんです。あいつが入って来る新人をすぐにやめさせるもんだから、こっちはなかなか雑用係を抜け出せなかったんですよ(笑)」(片山)
170センチそこそこの身長を、激しいファイトでカバーしようとしていた新日本時代の片山は、ケガとの闘いの連続だった。
「1988年に左肩の手術をしたのですが術後の経過が思わしくなく、当時新日本のリングドクターだった富家孝先生の紹介で、別の病院で再手術をすることになったのです」(片山)
そのとき、入院した東京女子医大病院に勤務していたのが看護師の京子さんだった。