初めての逮捕は中学3年生の時だった。部活の教師を蹴って、その翌日に同級生に暴力を働いた。被害届を出しにくい同級生の代わりに、教師が被害届を出し、あえなく御用となったのである。
鑑別所に送られた後、親が探してきた福井県にある更生施設「はぐるまの家」に入所する。
「今度は真面目になります」
そんな気持ちは毛頭なかったが、ウソをついて約7カ月後に施設を出た。
中学卒業後、定時制高校に入学する。入学早々、同じ地域の1つ上の子に話しかけたところ、相手が無視した。この世代の「やんちゃくれ」にとってケンカに理由はない。きっかけさえあればいいのだ。翔はそのまま相手をボコボコにしばいた。不良が集まる学校ということで、周りにいた生徒は、
「おお! 蹴っとけ! しばいとけ」
と盛り上がり、大きな騒ぎになる。こうしてその場にいた全員が停学になり、首謀者だった翔は入学後たった1週間で無期停学となった。
不良仲間との共通の遊び
すでに高校野球で注目されていたことで「ダルビッシュの弟」と呼ばれていたと思うかもしれないが、翔の感覚は全然違う。すでに羽曳野では有名なワルになっていたことで、有のほうが「あのやんちゃくれのダルビッシュの兄」というのが翔の周辺の認識だった。
そもそも有は中学3年で地元を離れていて「羽曳野出身」と言われても、地元の人間にはピンとこない。地域に対する「愛」が深い大阪ならではの感覚といえるだろう。
無期停学をきっかけに、翔はますます暴走行為にのめり込んでいく。翔の5歳上くらいまでは大阪に「暴走族」が存在していたが、翔の世代にはそれはない。
「違う地域の仲いいヤツらとか、同じ地域の仲いいヤツらと一緒に暴走するって感じで、不良仲間の共通の遊びが暴走行為だったってだけ。特攻服を着るとかいうしきたりもないんです」
警察の暴走族取締課の捜査員が、
「お前ら、どこの暴走族やねん」
「いや、チームには入ってません」
「そんなことあるかぁっ!」
というやりとりが繰り返された。「半グレ」とも違う、模糊とした友達繋がりのグループで大阪府内の地域を走っていたのである。