介助犬のデイジーが危ない目に遭ってしまうかもしれないから、デモ隊の中には長くいられませんでした。デイジーが押しつぶされそうになったんです。デモ隊に参加した人がすごく怒り出して、デイジーの足が踏みつぶされそうになったけど、そこで一瞬の間があった。その人たちは足を止めて、こう言ってくれたんです。
「ああ、ごめんなさい」
そこでみんなの怒りが解けたようでした。ところがまた怒り出した。極端でした。みんなの目に怒りの炎がメラメラと燃え上がっていました。こんなふうに感情に駆られたかと思うと、一瞬抑えることもできる。ものすごく変だと思う。集団から離れてみたり、状況をコントロールしたりする能力が低下しているんじゃないかな。デモにいくつか参加して、大体どこに行っても民主主義のいいところをいろんな形で見せてもらったけど、あの時はすごくこわかった。デモに参加するのは市民活動にかかわる上で有益だとは思うけど。
リリック 今話してくれたような行為で、いちばん当惑してしまうことは何かしら?
ジョリー よくわからないのは、そうした行為を統制する一連の規則があるかもしれないことです。あるいはみんなそういったものが空中に浮かんでいるのが読み取れるのかな?
すごくピリピリしている時は、僕も感じる。そんなピリピリした感じは好きじゃない。群衆が統制されて動き出す時も好きじゃない。みんな自分を見失ってしまってるみたい。でも、みんなはそのあと戻ってこられる。ずっと我を忘れているわけじゃない。でも、僕がそこに参加できないからかもしれないけど、僕にはみんな我を忘れているように思える。僕は群衆の中には入れるけど、そんなふうにみんなと同じ気持ちになれない。そうしたくもない。
周りで人がお酒を飲んでいる時も、同じように気持ちが落ち着きません。お酒を飲むとみんな言動が変わるし、なんか違う信号を発する。そんな信号の変化にうまくついていけない。群衆の感情に触れたとたん、それまで違う信号を発していた人たちも、一瞬のうちに周りとまったく同じ信号を出し始める。それにすごくびっくりしちゃう。同じようにひとりの人がちょっとお酒を飲むと、すごく酔っぱらってるわけじゃないのに、違う信号を出し始める。それですごく落ち着かなくなる。
辛辣な言葉をかけられた時、ジョリーが思うこと
ジョリーはいわゆる定型発達者の「心の痛み」というものは感じない。自分に対して辛辣で身を切られるような言い方をされたらどうなるか、それでどんな反応を示すか、話してくれる。
ジョリー 何が僕のような自閉症の人たちを苦しめるかと言えば、人がたくさんいることや、音や光みたいな刺激です。でも、僕の気持ちを傷つけたり気分を悪くしたりするようなことを言って、僕を苦しめようとしても、全然こたえないんじゃないかな。そんな言葉に痛みを感じて、それを無視したり、脇にやったり、踏みつぶしたりするからじゃない。そうした痛みは最初から感じないから。