5歳で自閉症と診断されたジョリー・フレミング。後に彼が高校と大学を卒業し、イギリスの名門オックスフォード大学で修士号を得ることになるとは、ジョリー本人ですら考えられないことだった。

 ここでは、そんなジョリーがインタビューで語った内容をまとめた『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』(リリック・ウィニックとの共著)から一部を抜粋。言葉が遅くて普通の小学校に入れなかったジョリーの「苦労」と「努力」について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

ジョリー・フレミングさん

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環境によって言語運用能力が大きく変わる

ジョリー いつ言葉を無理なく使えるようになったか、それに答えるのはむずかしいです。というのは、自閉症の影響のひとつに、脳にあることを言葉に変換したり、耳にした言葉を脳内でイメージしたりしなければならない、ということがあります。でも、人がたくさんいる、音もうるさい、気持ちが集中できないといった、自閉症の傾向が普段より強く出てしまう環境に置かれてしまうと、その変換がうまくできない。この変換を司る脳の機能がやや低下したり、動きが悪くなったりしてしまうのです。

 あまり好きでない環境、特に新しい環境に入れられたりすると、言葉がうまく出てこないかもしれない。ゆっくりした話し方になってしまうかも。思考を言語処理する時間がいつもよりかかってしまうのかもしれません。「僕は何を言おうとしているのかな? どう言ったらいいのかな?」みたいに考えてから、ようやく口にすることができる。たぶんいつもよりゆっくりした言い方になっているでしょう。何もかもいつもよりゆっくりしてしまうし、精神エネルギーもたくさん使う。

 気持ちのいい環境だったり、前もそこにいたことがあって、慣れている環境だったりすれば、「何を言ったらいいか→どう言ったらいいか→それを話そう」という思考回路にそれほど遅れが生じることはない。みんな同じ僕がしていることだけど、こういうふたつの環境では、僕の言語運用能力は大きく変わるのです。

新しい知り合いを少しずつ増やしていった

ジョリー 環境への対応は、最低ラインから始めなくてはなりませんでした。その時にうまくやっていけたのは何人かだけでした。家族から始まって、それから時間をかけて、友人ひとり、近所の人がひとり、兄のガールフレンドというように広げていって。一度にひとりずつ紹介してもらいました。最初は、家族や、近所の友人のジェームズや、家の向かいに住んでいるナンシーさん以外の人たちとは話ができませんでした。

 ホームスクーリングを始めた時も、同じように最低ラインからでした。成長するために母が与えてくれた場所と時間が必要でした。それができるようになると、母に背中を押されて、新しい知り合いを少しずつ増やしていきました。僕が中学の後半の年齢に差し掛かる頃、母は僕の準備が整ったと考えて、そうするように勧めてくれたのです。その時はそう思わなかったけど、今振り返ってみると、確かに準備ができていたかもしれない。

 知り合いを少しずつ増やすのは、作業療法(※1)や理学療法(※2)、そしてよく覚えてないんだけどスピーチセラピーと同じような効果があったんじゃないかな。こうしたたくさんの療法は、僕が特に自分からはしたいと思わないことをするように促すものでした。