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 この件を会食で持ち出した臼井も、公判でこう述べている。

「ブランディング事業はすでに応募した後だったので、『うちも応募しています』と話しただけで終わったと思います。佐野さんからは『大学の特色あるブランド力を発揮することは非常に大切なこと』と言われましたが、所管外という言葉で『この事業にはまったく関わっていない』と言われたと思います。申請後だったので、佐野さんから何か有益な指導を頂戴できると考えたことはないし、東京医大をブランディング事業の支援対象校に選んでもらえるポイントを教えてもらえると考えたこともありません」

 その後は前述したとおり、会食の話題がスポーツに移り、佐野は持参した新聞記事のスクラップのコピーを二人に見せて息子自慢を披瀝した。高校生の賢次は定期的に塾通いを続けてはいたものの、当時は部活動から引退して本格的な受験勉強を始めたばかり。東京慈恵会医科大を第1志望に据えてはいたが、成績が医学部を受験できるレベルにまで到達するかどうか見通しはまったく立っておらず、具体的にどの大学を受験するのかも白紙の状態だった。佐野と臼井との間ではこんな会話が交わされた。

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臼井        ご次男は高校3年生のようだけれど、今後どうされるのですか。

佐野        もちろん大学を受験するはずですが、野球ばかりやっていたので、成績がこれからどうなるかわかりません。仮に成績が上がれば医学部を目指したいと考えています。息子には東京都内か、東京近郊で自宅から通える大学を選ぶように伝えてあります。

臼井        医師を目指すのは大変良いことです。うちも良い大学なので、ぜひお越しください。

佐野        受験勉強を始めたばかりなので、今後どうなるのかは、まだちょっとわかりません。今、一生懸命頑張っているところです。

臼井        大丈夫です、なんとかなりますよ。頑張ってください。

 臼井の「うちも良い大学なので、ぜひお越しください」という言葉を、佐野は社交辞令の一環として受け止めた。会食は約2時間で終了。次回の会合について、臼井の馴染みのすっぽん料理店「田吾作」に仮り決めした後、谷口がこの日の費用をカードで一括して支払った。佐野は後日、自身の負担分1万5000円を谷口に現金で手渡した。

※画像はイメージです。 ©AFLO

食い違う調書と供述

 ところで検察側はこの第1次醍醐会食が行われた経緯や、会食での会話内容について、冒頭陳述要旨で次のように主張している。(傍線は著者)

 東京医大は平成28(2016)年度ブランディング事業に応募したものの、被告人臼井はその準備に十分な時間をかけることができないまま応募したことなどから、支援対象校に選定される自信がなかった。

 そこで被告人臼井は、以前国会議員経験者から紹介を受けたことのあった佐野に、東京医大がブランディング事業の支援対象校に選定されるよう、助力等をしてもらうよう依頼しようと考えたが、直接面談を申し込むことのできるほどの関係にはなかったため、かねて被告人佐野と懇意にしていると聞いていた被告人谷口に、被告人佐野との面会の機会を設け、同席するなどして被告人佐野との仲を取り持つよう依頼した。