「いい線まで行けば、なんとかしますよ」
佐野の弁護人の最終弁論要旨によると、前述した18年7月9日付の臼井の検面調書のうち、第1次醍醐会食の部分は次のようになっている。(傍線は佐野の弁護人)
「また、私は、息子さんの賢次君が通学している成蹊高校の野球部員として活躍している記事までわざわざ持参して私に渡してくるほど、佐野さんが賢次君を東京医科大学医学科に合格させたいと考えていることもわかりました」(検面調書9ページ)
「私は、このようにご自身の経歴・記事や賢次君が野球部員として活躍した記事を持参してきた佐野さんの行動を見て、佐野さんは、こうした受験生の親である自分の文部科学省官僚としての地位や業績、そして東京医科大学医学部を受験する予定である賢次君の高校野球における実績を示すことによって、東京医科大学の理事長である私にこれらの成績以外の要素も考慮してもらって、賢次君の入試の成績のみで合否を決定せずに、賢次君を優先的に合格させてもらえることがあるとわかっておられるのだと思いました」(同)
「実際に東京医科大学の同級生らが、東京医科大学医学部を受験する子息についてその合格を私らに依頼してくる際には、受験生の経歴やその親や家族の経歴などを持参・提出してくることが多く、佐野さんの行動は合格を依頼してくる受験生の父兄らがしてくるアピールと同じものがありました」(同)
「そこで私は、東京医科大学医学部医学科入試においては理事長である私が受験生の入試成績以外の要素を考慮して合格させることがあるのを佐野さんが知っているのがわかり、『いい線まで行けば、なんとかしますよ』などと言って、賢次君がそれなりの点数を取ってくれさえすれば合格点まで達しなくても私が点数を加算するなどの配慮をして賢次君を入学試験で合格させる気持ちがあることを伝えました」(検面調書 ページ)
これこそ特捜検察の“作文”調書の典型例である。特に傍線部は、検面調書を読む裁判官に対する印象操作の狙いが露骨に現れている。
なかでも特筆すべきは「いい線まで行けば、なんとかしますよ」という部分だ。検面調書上のこの記載について、臼井は公判で「佐野さんに『いい線まで行けば、なんとかしますよ』と伝えたことはありません」「なんとか『しますよ』ではなく、なんとか『なりますよ』くらいのことだと思います」と話したうえで、「しますよ」と「なりますよ」の違いに関して、次のように説明した。
「『なんとかしますよ』は、そこになんらかの意図的な指示が加えられることを意味していて、『なんとかなりますよ』はそうした指示がなくても、周りのいろいろな状況でそうなることを意味しています。2次試験後の入試委員会では面接とか本人の評価とか、いわゆる属性調整が結構あり、現役の賢次君であれば 点くらいあります。その意味で『なんとかなりますよ』というのは、客観的なものとして言っていました」