ヒオカ おそらくそうだと思います。たまにその影響で自損事故を起こしたりもしていました。
母はパートをしていましたが、多分、ひとり親家庭の平均収入よりずっと低かったと思います。実家の収入状況を初めて知ったのは、高校生の頃、奨学金申請に必要な書類に書かれてあった年収欄を見たとき。子供ながらに家が貧しいのはわかっていたけれど、実際に数字を目にすると「えっ、うちってこんなにお金ないの」って。
――個人的な話になりますが、私の場合も貧困家庭で、同じく奨学金申請の書類で実家の収入状況を知ったのでよくわかります。「平均的な年収が400万円くらいで、うちもそれくらいはあるのかな?」と思っていたんですけれど、蓋を開けてみるとその半分もなかった、みたいなことが普通にある。
ヒオカ 親が安定して働いていないと、本当にわからないですよね。極端な話、全く働いていない時期は収入はゼロだし、働いているときでも非正規雇用でアルバイトだったりするから、安定した収入があったことがない。
生活保護を受給できない 地方ならではの閉塞感と村社会の雰囲気
――子供の頃に「家が貧しい」と思ったきっかけはありましたか?
ヒオカ 習い事をさせてもらえなかったことです。小学校の同級生はだいたいスイミングスクールやピアノ、バレエ、スポーツなど何かしらの習い事をしていて。当時はみんな『こどもちゃれんじ』や『進研ゼミ』もやっていたんですけど、家で「私もやりたい!」なんて言おうものなら、父から「わがままを言うな!」と怒鳴られていました。
――子供ながらに、周りとの格差を感じましたか。
ヒオカ 団地に住んでいる子供たちは私と同じように貧しい家庭の子がほとんどで、あまり格差を感じることはありませんでした。でも団地以外の子はほとんどが安定した収入がある家庭なので、そこで初めて、自分たちがマイノリティだったことに気付くんです。
――特に地方の、市街地と田舎の団地的なところだと、収入の差や文化的なギャップも大きいですよね。当時、生活保護を受給するという発想はご両親になかったのですか?
ヒオカ 全くなかったです。生活保護を受給するということは、村中に知られるということ。どんなに隠したくても、役所の人も民生委員の人も地元の人たちだから必ず噂になる。だから、「絶対に受給してはいけない」くらいの地方ならではの閉塞感というか、村社会の雰囲気がありました。