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団地住民への差別、生活保護への偏見も…当事者女性が語る“地方の貧困家庭”のリアル「『誰も味方じゃない』と思っていた」

ノンフィクションライター・ヒオカさんインタビュー #1

2023/02/04

genre : ライフ, 社会

note

「団地の家族」と「団地以外の家族」での見えない線引き

――イメージされやすい「虐待」はだいたい身体的な暴力に限られますからね。

ヒオカ 中学生のときには、学校でいじめにあって不登校になったんです。それでも勉強をしたかったから、図書館に行って自分で勉強して、夕方になったら母が車で迎えにきてくれるのが日課になっていました。でも父は事あるごとに「学校に行かないなら部屋から出るな」と怒鳴るんです。

――当時、周りに相談できる大人はいませんでしたか?

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ヒオカ まったくいませんでした。小学生のとき、担任の先生が「団地の子供たち」だけを明らかに目の敵にしていて。多分、ちょっと差別意識があったんだと思います。

 

――具体的には、どういう風に目の敵に?

ヒオカ 同じ団地に住んでいる男の子はよく先生に叩かれたり、首根っこを掴んで引き摺り回されたりしていました。

 もともとは、PTAや保護者会の中で「団地の家族」と「団地以外の家族」みたいな見えない線引きがあって。団地の子供たちの母親が学校行事などで固まって行動していると、団地以外の母親たちがそれを見て耳打ちをしたり、ヒソヒソ話をするのが子供ながらにもわかりました。

 それが発端になったのか、先生も加担するようになったんです。私は叩かれはしなかったけれど、いつもみんなの前でネチネチと嫌味を言われたり。

 中学生のときには、私がいじめられていても先生は見て見ぬ振りをして、不登校になっても何もしてくれませんでした。だから私の中の大人のイメージがあまり良くなかったというか、希望が持てなかったんですよね。「誰も味方じゃない」と思っていました。

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――当時、ご家庭の収入状況は?

ヒオカ 正直に言うと、あまり把握していませんでした。私が保育園に通っていた頃まで父親は定職に就いていたようなんですけど、精神に障害があったらしく、アルバイトを転々とするようになりました。ただ、ひとつの仕事が長続きせず、失業中は家にいることが多くて。

――お父さんが働けないのは、精神障害が関係しているんでしょうか?

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