芽生え始めた違和感
しかし渡辺は次第に、個人よりも組織を重視するかのように思えた党への違和感を抱くようになっていく。「報いられることなき献身」を要求する党に対し、それに値する価値は何なのか、疑問を抱き始めたのだ。
「共産党本部の玄関を入ったところに大きなビラが貼ってあって、『党員は軍隊的鉄の規律を厳守せよ』と書いてあるの。俺は軍隊が嫌いだからやってきたのに、共産党も軍隊かと思ったね。ものすごい台風〔1947(昭和22)年発生のカスリーン台風〕が来たの。相当被害を受けて、多くの人が死ぬんですよ(※5)。そういう時に党の東大細胞の会議があって、そこに中央委員が来て演説する。
『もし全国民がこういう災害で飢えれば、人民は目が覚める。共産主義者になる。人民の目を覚まさせて共産主義にするのには、人民が飢えたときでなくては駄目なんだ』と。
未だに疑問に思っているが、『変電所のスイッチを切って、全国停電を起こす。日本中が暗黒になる。食うものもなくなったとき、初めて飢え、餓えた人民は体制打倒のために立ち上がる。それが必要だ』と言うんだな。それで『共産党を出なきゃいかん。中にいたんじゃどうにもならん』と思ってね、脱党を決意したね」
渡辺は自らの中に芽生えつつあった党への違和感を、手記に綴っていた。胸中に湧いてくる党への不信感を「恐ろしい事」と表現している。
「恐ろしい事が起りつつあるのではないかと思ふ。秘めておく事の不可能とすら思はれるやうな一つの体験を、ぼくは、唯一人の同志にも語る権利を持たぬのであらうか」(※6)
中北は、共産党における組織原理と個人の相克について、次のように指摘する。
「共産党は職業革命家を中心とした『鉄の規律』で革命を起こすという、少数の党中央エリートが主導する“前衛政党”です。人民を解放するための革命を遂行するためには、軍隊的な組織形態が合理的になってくるというパラドックスが、常に存在していたと思います。そうした共産党において、組織と個人の相克は常にあります。
具体的に述べると、共産党は党中央など上級機関の指導に下部が従う『民主集中制』(民主主義的中央集権制)という組織形態を採っています。分派の存在を許さない中央集権的で一枚岩的な党組織です。
学生をはじめ自ら物事を考えたい人々には、上からの指導との間で摩擦が起きがちでした。また、マルクス主義は、歴史の発展法則によって革命が必然的に起こるという理論なので、そうした構造決定論的な解釈と、渡辺さんのような個人を重視する世界観が齟齬をきたしやすい面もあったと思います」