読売新聞グループ代表取締役主筆を務める渡辺恒雄氏、96歳。戦後政治の表も裏も目の当たりにしてきた“最後の生き証人”とも言われる。この渡辺氏へのロングインタビューを元にしたノンフィクション『独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた~』が刊行された。
本書はNHKスペシャル『渡辺恒雄 戦争と政治~戦後日本の自画像~』(2020年8月9日放送)などを元に、番組をディレクターとして制作したNHKの安井浩一郎氏が書き下ろしたノンフィクションだ。同著より一部抜粋してお届けする。
若き日の渡辺氏は、なぜ「天皇制打倒」を夢見て、共産党に入党したのか?(全2回の1回目/後編を読む)
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青春を捧げた共産党活動
灰燼に帰した国土の中、終戦直後の日本は「一億総懺悔」が唱えられるなど、政治・社会体制が一変する気運に満ちていた。こうした中で、GHQ(連合国軍総司令部)による占領統治が始まった。
連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーは、日本が米艦ミズーリ号上で降伏文書に調印したわずか1ヶ月後の1945(昭和20)年10月には、婦人解放、圧政的諸制度の廃止、経済機構の民主化などの「五大改革指令」を発出する。そして早くも同年中には、財閥解体や農地改革が始まり、改正衆議院議員選挙法によって女性の参政権が認められた。「非軍事化」と「民主化」に占領政策の基本方針を置くGHQの下、日本の体制は劇的な変貌を遂げようとしていた。
渡辺は終戦後、忌み嫌った軍隊生活から解放され、東京帝国大学に復学していた。現在は象徴天皇制を肯定的に捉えている渡辺だが、当時は体制を抜本改革する必要があると考え、ある政党に入党する。日本共産党である。渡辺の人物像を考える上で、今とは像を結ばないように思える過去を持ち、自身の中で併存させている点は非常に興味深い。
しかし、やがて渡辺は党本部と激しく対立し、除名処分を受けるに至る。私の手元に当時の渡辺が記した手記がある。党から除名処分を受けた直後、編集に関わっていた論壇誌に掲載した文章だ。そこには自らを除名した組織への怨嗟が、激しい言葉で綴られていた。