文春オンライン

2018/01/27

「はい論破!」では生まれないもの

 西部邁のこうした議論好きはどこから来たのだろうか。

「昔の保守政治家には、相矛盾した二つをギリギリつなげる微妙で繊細な語彙、ユーモアがあった。今は、それもなくなり、ただの乱暴な言葉だけだ」(注)。昨年AERAでおこなわれた中島岳志との対談で西部邁はこのように言い、左翼のそれも同等に乱雑だと述べる。こうした言葉遣いは「反社会的勢力のレトリック」と同じであり、まともな議論を遠ざけよう。

 たとえば国会の追悼演説では、亡くなった議員の対立政党に所属する者がそれを行う慣例があった。有名どころでは社会党・浅沼稲次郎を悼む自民党・池田勇人、あるいは「みずからが凡人であることを片時も忘れないよう心がけておられました」と小渕恵三を讃えた村山富市の名演説などが生まれている。これは「はい論破!」や「日教組!日教組!」と囃し立てていて生まれるものではあるまい。

村山富市による小渕恵三追悼演説(2000年5月30日)©時事通信社

敵と味方の峻別から足抜けして

 西部邁は東大在学中、全学連の中央執行委員として六〇年安保を闘い、その後、共産主義から保守主義へと「転向」する。敵と味方の峻別により生まれる熱狂の世界から足抜けするのであった。かつての仲間らはといえば、後に熾烈な内ゲバの時代を迎え、そこでは「ウジムシ」などと罵りあい、「センメツ」と称して鉄パイプなどで殺しあう。

83年のシンポジウムで 左より本間長世、高坂正堯、天谷直弘、小堀桂一郎、西部邁 ©山田一仁/文藝春秋

「ネトウヨにはある種の反知性主義としか言いようのない、下品な言葉遣い、他人に対する誹謗中傷、罵詈雑言があるらしい」(注)とも西部邁は言う。かつての仲間らが行く末にみた地獄と、今日の「はい論破!」の風潮が重なりあって見えても不思議ではない。

 佐高信の言葉を借りれば「問答有用」、これは西部邁がたどり着いた政治的態度であり、生き方であったろうか。

(注)https://dot.asahi.com/aera/2017042400072.html?page=4

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