20キロ増「足は象のよう」
——C型肝炎で入院された直後に、まだ58歳の若さだったお母様を亡くされました。また、ご自身は35歳で結婚され、髄膜炎の翌年に38歳で離婚。その後、改名もされていますね。
「そう、漢字を変えて『安南潤』。あんまりおかしなことが重なるので、姓名判断の方に頼んで。すぐ戻しましたけれど。しかし、名前を変えようが戻そうが体の不調はいよいよで、全身が冷え切って指先が蝋燭みたいに白くなったり、朝起きても、お風呂で30分も温めないと体が動かないほど筋肉や関節が痛んだり。
そのうちに浮腫(むく)み始めて、体重が20キロも増えてしまいました。足はまるで象のようで、靴を履けないから舞台では裾で隠して草履、足袋だって入らないから足袋カバー。舞台袖に畳を敷いていただいて、自分の役目が終わったら横になり、再び出る時には人に抱えられて起きて。
あんな状態で仕事していたなんて、自分でもバカじゃないのと思うのだけれど。『単なる疲労、いずれよくなる』と健康を過信して、病院には行かず、鍼灸や整体、漢方などで凌いでいたんです。
そのため、結局最後は呼吸困難に陥り緊急搬送されました。最初に生死の境をさまよったのは、あの時。2000年、53歳でした」
——緊急搬送される4日前に、神戸文化ホールで「愛と夢 永遠のタカラジェンヌ」に出演されています。
「憶えてない……」
——しかも、翌日には神戸のホテルで公演記念のトークショーにまでお出になっている。
「えっ、そうなの? 私って、本当にバカじゃないの?」
診断は「難病のSLE」
——入院後の経緯を綴った主治医の記録が残されています。
「ICUに入ったのですが、意識を失ったので1週間くらいの記憶がありません。後で知った病名は『全身性エリテマトーデス(SLE)』。膠原病の一種で、なかでもとくに難治性の病です。膠原病は、免疫機能に異常が起きて全身にトラブルが起きる病気で、浮腫みや冷えの原因はこれ。20キロの増量は、腎臓が機能せず全身に尿などの水分がたまった結果でした。水が、肺や心臓を包む膜にまでたまり、溺れているのと等しい状態だったわけです。
主治医の記録には、『両足から水がしみ出てきそう』『胸部、腹部を指で押すとボコンとへこむ』『薬を早急に大量投与の必要』などと記されていて、友人が、本気で葬儀の心配をするほど緊迫した状況が何日間も続いたらしいです。入院時の体重が58.1キロ、約20キロの水を抜いた後は39.3キロ。意識を回復したら、自分が骨と皮だけでまるで人体の標本みたいになっていた」
——人体標本って……。
「だって、そんな感じ(笑)。少しよくなってから杖をついて歩き始めたら転びましてね。水を抜いて皮膚がだぶだぶになっていたので、足の皮がずるりとむけた。その時に入った砂がまだ膝に残っています。
本当にもっと早く病院で検査を受けるべきだったんですけどね。心の奥底で、母の死を思い出して怖かったのかもしれません。母も同じ症状でしたから。あの時代は医学が今ほど進んでいなかったので、母は病名不明のまま大変苦しんで亡くなったんです。
それに、宝塚時代の習慣も影響しましたね。長いことトップを務めていたでしょう。何があっても休まない、休めないというバカげた信仰に近いものを持っていて。風邪で39度以上発熱しても、剥離骨折しても出演していましたから。だって、しゃあないもの。67年の『シャンゴ』という演目は稽古が過酷で、稽古場に看護師が控えていたことが語り草になっていますが、あの時はむち打ち。首が据わらないので、人に首を支えてもらって食事して舞台に出ていました。けっこうムリしていますねえ、こう振り返ると(笑)。
私が宝塚で学んで最もよかったと思うのは、成せば成るってことなんです。頑張ってやれば、必ずできる。我慢もそうした過程で覚えましたが、病気に関してはまったく悪いほうに出ちゃいましたね。主治医によると、緊急搬送される6年くらい前からSLEを発症していたようです」
◆
安奈淳氏のインタビュー「『ベルばら』50年『一本の木で死にたい』」は、月刊「文藝春秋」2022年1月号、および「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
安奈淳「ベルばら」50年「一本の木で死にたい」