「僕が一生、全力でお守りします」。1993年1月19日、皇室会議を経て、天皇皇后両陛下の婚約が正式に内定した。その際の記者会見で、雅子さまは心を打った言葉として陛下のプロポーズの言葉をあげられている。
あれから30年。90年代を中心に、皇太子妃時代の雅子さまのファッションについて皇室担当記者の佐藤あさ子氏があらためて振り返る。(初出:2019/4/28 年齢・肩書き等は公開時のまま)
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私は皇室担当記者として10年以上にわたり取材を続けて、女性皇族方のお姿をつぶさに拝見してきた。そのなかで、いつも感じることがある。天皇陛下や皇族方は一般の人々のように、ご自身の思いを直接的におっしゃることができないために和歌などを通じて、その時々のお気持ちを表現されているとはよく言われるが、女性皇族の場合はファッションを通じてこそ、何もおっしゃらずともその時々のご感情や思いが、こちらに伝わってくることが数多くあるのだ。
愛子さまとファッションやヘアスタイルをお揃いに
雅子さまは、平成15(2003)年に病気療養に入られて以来、公の場へのお出ましがめっきり減ってしまった時期が長く続いた。その間には、学習院初等科に通われていた愛子さまが不登校のような状態になられたこともあった。
さらにその少し前から、雅子さまと愛子さまはファッションやヘアスタイルをお揃いにされていて、愛子さまが順調だと雅子さまのお加減もよくなることがあり、“母子シンクロ”とも言われた。雅子さまがグレー系のパンツスーツをお召しになっていることも多かった。