『木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子 著)新潮社

 北条政子とその娘、大姫の母子関係を鋭く描いた『女人入眼(にょにんじゅげん)』が直木賞候補となり、広く注目された永井紗耶子さん。期待が集まるなか刊行された最新作『木挽町(こびきちょう)のあだ討ち』では、江戸を舞台に、芝居の世界に生きる人々を題材にとった。読み進むうち徐々に謎が浮かび上がる、エンタメ要素たっぷりの時代小説だ。

「もともと歌舞伎が好きで、いままで江戸ものを書く時にも、歌舞伎のシーンを入れることが多かったんです。そうしたら編集者さんに『お芝居の話、書いてみませんか』と言っていただいて。それならやってみたいことがあります、と言って書いたのがこの話です」

 木挽町にある芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助によってあだ討ちが成し遂げられ、父の仇を討った雄姿は界隈の語り草になった。その2年後、菊之助の縁者だという若侍が木挽町に現れる。この事件を目撃した芝居小屋の面々に、あだ討ちの顛末を聞きたいというのだ。

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「私は常々、あだ討ちって、討った側も不幸になるものじゃないかと思っていて。外野はすごく盛り上がるけど、それに対して責任を取るのは当人同士でしかない。外からの圧力であだ討ちを強いられることがあるとしたら、それはすごく不幸なことだと感じたので、今作では別の角度から光を当てることができたら、と思いました」

永井紗耶子さん

 菊之助について、木戸芸者、立師(たてし)、衣装係、小道具係の妻、筋書と、芝居に関わる者たちが、滔々(とうとう)と、または訥々(とつとつ)と語っていく。話していくうちに、自らが芝居の世界に流れついた経緯についても明かされるのが読みどころだ。

「語っている人たちを通して、江戸の全体像が見えるようにしたいと思っていました。だから、吉原の幇間(ほうかん)あがりの木戸芸者や、継ぐ家のない武家の三男坊、職人さんにも出てきてもらいました。江戸時代って、戦があるわけではないので、トラブルの内容が現代と似ているんです。人間関係だったり、身分差別だったり、組織の腐敗だったり。江戸を掘っていくと、現代に似た問題点が出てくるな、という印象がありました」

 語り手となる芝居小屋の関係者たちは、挫折や喪失を経た上で、様々な形で芝居に救われている。そんな人々の間に飛び込んできたのが、あだ討ちの使命を担って郷里から送り出された、まだ10代の菊之助だった。人々の語りから、次第に菊之助の本当の思いが浮き彫りになり、思いもよらない真相が明らかになる。

 巧みな構成で謎が明かされていくのに加え、本作にはもう一つ大きな特長がある。落語を思わせるような一人称の語りのなかで、専門用語や社会の様子が見事に説明され、時代小説を読み慣れていない人でも、江戸の世界観にすんなり入っていくことができるのだ。

「私はこんな風に歴史時代ものを書いているんですけど、このジャンルの小説に馴染みがない友人たちもいて。その人たちにとって私の小説は『ちょっと難しくて……』となってしまうんですね。そのハードルを取っ払うにはどうしたらいいか、と考えたときに、思いついたのがこの形式だったんです。すごく世間知らずの、初めて江戸にきた侍が聞き手を務めることで、読者にも自然に情報が入ってくる。これなら、江戸をよくご存知の方にも違和感なく読んでいただけるかなと」

 永井さんは「江戸への入り口、通り道を作ったので、そこから先はこの街で楽しく遊んでほしい」という。時代小説好きだけでなく、すべての小説好きにおすすめしたい一作だ。

ながいさやこ/1977年生まれ。神奈川県出身。2010年「絡繰り心中」で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。2020年に刊行した『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』は、細谷正充賞、本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎賞を受賞した。他の著書に『横濱王』『大奥づとめ』など。