犯人の肉声は「第一級の資料」
一方の私は私で、連続殺人犯の肉声に触れられるメリットがあった。
殺人事件の真相、背景に迫るために、犯人の肉声は「第一級の資料」であり、取材者としては、最も得ることを望むものである。「なぜ人は人を殺めるのか」を主な取材テーマとしてきた私にとって、孝紘との交流は絶好の機会だった。
もちろん、いくら肉声とはいえ、相手の発言を鵜呑みにすることは禁物である。私はこれ以降も数多くの殺人事件の犯人と面会を重ねているが、自身の立場が有利になるように誘導してくる者は少なからずいた。
たとえば20年に発覚した「北九州監禁連続殺人事件」の松永太(死刑囚)などが顕著な例で、7人を殺害した罪に問われていた彼は、最後まで自身の潔白を訴え、責任をすべて共犯者である緒方純子(無期懲役囚)になすりつけようとしていた。
そんなこともあるとはいえ、拘置所や刑務所にいる容疑者の肉声が外部に伝わらなければ、事実(ファクト)を知るためのきっかけすら生まれない。まず話を聞き、その内容に整合性があるかどうかを、客観的事実と突き合わせて検討し、信用に足ると思える情報のみを採用する。そうした行為の積み重ねこそが、事実に近づくための限られた手段なのだ。
それ故に、犯人の生の声は重要であり、可能な限り入手への努力が必要なものだと考えている。
「小野さんね、俺の腕に蚊がとまって血ぃ吸おうとしたら、パシンて打つやろ。それと同じくさ。蚊も人も俺にとっては変わりないと。それだけのことたい」
なぜ4人もの人を殺めたのかとの私の問いに対する孝紘の答えである。そんな言葉が返ってくるなどと想像もしていなかった私は、面食らうと同時に、殺人という非日常的な行為の一端に触れることに、取材者として大いなる好奇心を掻き立てられた。
殺人を是とする粗暴な側面を持つ彼だが、付き合いが長くなるなかで、“愛嬌”のある顔も数多く見せてきた。それもまた、私にとっては想像しなかったことだ。
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ノンフィクションライター・小野一光氏による「私はなぜ死刑囚の養子になったか」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年2月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
私はなぜ死刑囚の養子になったか