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柄谷氏の「最も重要な着想」

 Aでは氏族、Bでは国家、Cでは資本が優位になる。近現代の社会は氏族、国家、資本の原理が絡み合っているが、資本が優位を占める経済社会である。こういう社会では、〈今後に、戦争と恐慌、つまり、BとCが必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう〉と予測する。ただし、絶望するには及ばない。

『力と交換様式』

〈しかし、それゆえにこそ、“Aの高次元での回復”としてのDが必ず到来する〉と柄谷氏が信じているからだ。このDをある時期、柄谷氏は共産主義とかアソシエーションとかいう用語で表現していた。それが『力と交換様式』では、キリスト教神学に接近してイエス・キリストの再臨との類比(アナロジー)でとらえている。いわゆるマルクス主義者は国家と資本を廃絶し新しい構造を作り出そうとした。柄谷氏はこのアプローチが間違っていたと考える。

〈国家や資本を揚棄すること、すなわち、交換様式でいえばBやCを揚棄することはできないのだろうか。できない。というのは、揚棄しようとすること自体が、それらを回復させてしまうからだ。唯一可能なのは、Aにもとづく社会を形成することである。が、それはローカルにとどまる。BやCの力に抑えこまれ、広がることができないからだ。ゆえに、それを可能にするのは、高次元でのAの回復、すなわち、Dの力によってのみである。/ところがDは、Aとは違って、人が願望し、あるいは企画することによって実現されるようなものではない。それはいわば“向こうから”来るのだ。この問題は、別に新しいものではない。古来、神学的な問題、すなわち「終末」や「反復」の問題として語られてきたことと相似するものである。(中略)/マルクスはこの問題を、神を持ち出さずに考えようとしたといってよい〉

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佐藤優氏 ©文藝春秋

 ここで言う「向こうから来る」という発想は、ユダヤ教とキリスト教の終末論をマルクス主義に組み込もうとしたドイツのマルクス主義哲学者エルンスト・ブロッホや、危機神学の創設者であるスイスのプロテスタント神学者カール・バルトの救済観と親和的だ。柄谷氏の思想を「柄谷神学」と呼ぶことも可能と思う。世界宗教の中に埋め込まれているDの力を顕在化させることで、戦争や資本主義がもたらす構造問題を解決できるという柄谷氏の「希望の原理」に評者は強い共感を覚える。

 柄谷氏の着想で最も重要なのは『資本論』を交換様式によって読み解いたことだ。これは世界でも極めてユニークな『資本論』解釈を展開したマルクス経済学者宇野弘蔵(1897〜1977年)の方法論を継承したものだ。

「ベストセラーで読む日本の近現代史」の全文は、「文藝春秋」2023年2月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。