「殺人と性犯罪以外はだいたいやったと思っとってください」
「暴力団に入っていた時期もあるし、覚醒剤の売人もしていました。前科だけで7~8犯、前歴も含めると12回くらいは警察のお世話になりました。殺人と性犯罪以外はだいたいやったと思っとってください。どうしようもないシャブ中でした」
右手に常につけている革の手袋は、かつて自社物件内にいた不審者の外国人ともみ合った際に複雑骨折した古傷が痛むせいで外せないのだという。
中溝社長が最後の懲役を終えたのは、2017年12月。高知刑務所を出ても出迎えは誰もおらず、地元の福岡まで電車で移動する途中、頭をよぎったのは刑務所で仲良くしていた同郷の高齢受刑者たちだったという。
「刑務所で受刑者同士はだいたい同郷でつるむんです。福岡出身の60、70歳で刑務所の出入りを繰り返している人たちがいて、中ではお世話になったけれど同じ道はたどりたくない、でも僕はこれから何をすればいいんだろう、と考えていました」
「あのままだったら死ぬまで刑務所の出入りを繰り返す人生」
しかし出所した中溝社長を待っていたのは、意外な運命だった。親が所有していた中溝観光開発が億単位の赤字と税金の滞納を抱えて倒産寸前だったのだ。当時53歳だった中溝社長は『潰れた時の社長は名前に傷がつくから俺が引き受ける』とオーナーだった親を説得し、社長に就任することになったのだ。
「中洲のソープランドが入る物件からまとまった額の安定した賃貸収入は毎月あるんです。それなのに赤字になっていたのは、当時の幹部が会社を私物化して、横領まがいのことまでやりたい放題だったのが原因でした。なのでまず人員を整理して、普通にやるだけで経営状態はどんどん改善していきました」
2018年10月に中溝社長が就任してから一度は3人ほどまで社員を減らしたが、採用活動を再開して現在は約15人。その半数は、元暴力団員や半グレ、不良少女など“訳あり”の社員たちだ。
「正式に協力雇用主として元受刑者を雇用したのは2020年1月以降でしたが、社長になってすぐに問題を抱える人間の雇用を始めました。自分自身も覚醒剤などで逮捕されてから、安定して働く場所が見つからずにずるずる懲役を繰り返してしまった。あのままだったら、高知刑務所の高齢者たち同様に死ぬまで刑務所の出入りを繰り返す人生だったでしょう。自分が運良くその道を抜けられたのだから、できることなら1人でも多くの人を救いたい。『今度こそ頑張ろう』という思いでシャバに出てくる人間は多いけれど、仕事がなくて生きるために犯罪に手を出すしかなくなることはある。自分がそうだったからよくわかるんですよ」