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中国人性風俗店の興亡史と「チャイエス女王」

 チャイエスの起源は不明な点が多いが、在日中国人の出稼ぎ者が急増した1990年代中盤以降、大都市圏の繁華街にできた中国マッサージ店が原型だと思われる。当初、中国人の女性従業員が客単価を上げるための追加サービスとして、日本人の男性客向けにこっそりと「手」を使った回春マッサージをおこなっていたところ、いつしか行為がエスカレートして売春がメインになったのだ。

 ゼロ年代なかばごろには、東京周辺のチャイエスでは本来のサービスであるマッサージをほとんどおこなわなくなり、1時間あたり7000~1万円程度でシステマティックに性行為を提供するようになった。一般的なソープランドなら遊び代が3万円程度は必要であることを考えれば、チャイエスの費用がいかに安いかは明らかだろう。もちろん、言うまでもなく違法な業態である。

 ちなみに中国人は、性風俗の場で「量」を重視する傾向があり、往年は中国本土の最も安価な性風俗店でも、客の男性に女性2~3人を一気に提供する「双飛(シュアンフェイ)」や「三飛(サンフェイ)」を当然のようにおこなっていた(拙著『性と欲望の中国』文藝春秋)。その影響を受けたのか、日本のチャイエスのオプションメニューにもほぼ必ず3Pサービスが存在する。

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かつては日本でがっぽりカネを稼ぐチャイエス嬢も

 ゼロ年代、都内のチャイエスは堂々と店舗を構える例が多く、23区内だけでも上野や大塚・巣鴨などに、チャイエスが複数入居する風俗ビルが複数存在した。五反田・蒲田・高田馬場・錦糸町・小岩、さらに東西線の沿線各駅周辺にも、この手の店舗が数多くあった。

 当時、都内で最も有名だったチャイエス入居ビルが、JR上野駅浅草口付近にあるマンション「アルベルゴ上野」だ。2010年10月、入居する7店舗17人が売春防止法違反などで摘発されている。 

 その際の報道によると、なんと12階建てマンションの全234部屋のうち100部屋以上が、チャイエス業者と関係があったという(ちなみに逮捕された店舗経営者には、航空自衛隊元幹部をはじめ日本人も含まれていた)。

 いっぽう、大阪のチャイエスは東京のように性行為だけを切り売りする形態には進化せず、同じ店舗で普通のマッサージと回春マッサージ、売春サービスを値段別に分けて提供する場合が多かった。 

 2006年ごろ、中国人の女友達の1人から、関西の伝説的な「チャイエス女王」の話を聞いたことがある。この「女王」は、2000年代初頭に日本語学校に入学した直後から大阪の京橋でチャイエス嬢をはじめ、やがて仕事を継続しながら立命館大学に進学。日本での在留期間を延長するために大学院まで進み、京橋や東梅田の繁華街で荒稼ぎをしたという。当時の一部の私大では、留学生の大学院進学はかなり容易だったのだ。

 修士号を取得して帰国したチャイエス女王のその後は不明である。ただ、日本でがっぽり稼いだカネを2000年代のバブリーな中国に持ち帰り、不動産を買うなり会社を起こすなりしたのであれば、いまごろはそれなりの財産を築いている可能性が高い。

 かつてのチャイエスの世界には、こうした「夢」のある話もないではなかった。

 もっとも2010年代に入ると、前述のアルベルゴをはじめ店舗型のチャイエスの摘発が増えた。 

 加えて2011年の東日本大震災と福島原発事故によって日本への恐怖感が広がり、2012年には尖閣問題で日中関係が悪化した。