日本には制度上、移民はいない。しかし、悪名高い、技能実習生制度のもと、ベトナム人だけでも実習生は20万人近く。その一部は低賃金や劣悪な環境に嫌気がさして逃亡、不法滞在者の「移民」として日本のアンダーグラウンドを形成している。かつて中国人が主役だったアンダーグラウンドを、今、占拠しているのは、無軌道なベトナム人の若者たちなのだ。

 ここでは、大宅賞作家・安田峰俊氏が「移民」による事件現場を訪ね歩き、北関東に地下茎のごとく張り巡らされた「移民」たちのネットワークを描いた渾身のルポ『北関東「移民」アンダーグラウンド ベトナム人不法滞在者たちの青春と犯罪』(文藝春秋)より一部を抜粋してお届けする。(全4回の3回目/4回目に続く

写真はイメージです ©AFLO

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日暮里の中華料理店で話を聞いたベトナム人女性・ユキ

 2022年6月10日、日暮里の中華料理店でマスクを外したユキは、口元のひどい乱杭歯(らんぐいば)が印象に残る女性だった。

 歯の1本1本が、25歳とは思えないほど黄色い。いかにもベトナムの農家の若奥さんという感じだった。ただし人相は悪くなく、タレ目気味の目元に愛嬌がある。口を開けているか閉じているかで、外見から想像できる年齢が10歳くらい違うだろう。

 いっぽう、メイクは同年代の他のベトナム人女性よりも濃い──。というより、ほとんどケアをしていない日焼けした肌を、無理矢理に白塗りにしていた。髪は茶色のロングヘアーで、パサパサに荒れている。

 第一印象は、約1年半前に牛久警察署で接見した、死亡ひき逃げ犯のチャン・ティ・ホン・ジエウと似た気配を感じた。群馬県太田市の兄貴ハウスにも、やはり似た感じのすさんだ雰囲気の人がいたので、これはボドイ(編注:技能実習先を逃亡するなどして不法滞在・不法就労状態にあるベトナム人の総称)の女性の1類型と考えていい。

 ただし、その後の会話からもわかるように、日暮里のユキは茨城県のジエウとはちょっと違う個性の持ち主だった。

「日本に来たのはいつですか?」 

「2021年1月」

「いつ、ベトナムに帰りますか?」

「2023年10月25日」

 日本語がたどたどしいのに、帰国の日付だけは口頭ですらすら暗唱してみせた。 

 ちなみにこの取材は、ちょうどチー君がベトナムに帰っている時期だったため、やむを得ず私1人で話を聞いた。簡単な日本語で会話をしながら、スマホを片手にGoogle   翻訳の訳文を使ってのコミュニケーションである。

──あなたは、はやくベトナムに帰りたいですか? 

「はい。わたしはとても帰りたい」 

「そのとき、わたしは子どもに会います」 

──あなたの子どもは、いくつですか?

「3歳です」

「わたしはいつも、彼に会いたい」

 Google 翻訳は、1文が短かく文法的に正確な原文を書き、翻訳結果を日本語や他の言語(英語や中国語)に何度か再訳してチェックすることで、訳文の精度がかなり向上する。

 相手がカタコト程度でも日本語を話せて、かつマンツーマンの会話なら、かなり複雑な内容の意思疎通も可能である。ただし、これは会話の相手が、まどろっこしい翻訳の手間を嫌がらない人であることが前提だ。