日本には制度上、移民はいない。しかし、悪名高い、技能実習生制度のもと、ベトナム人だけでも実習生は20万人近く。その一部は低賃金や劣悪な環境に嫌気がさして逃亡、不法滞在者の「移民」として日本のアンダーグラウンドを形成している。かつて中国人が主役だったアンダーグラウンドを、今、占拠しているのは、無軌道なベトナム人の若者たちなのだ。

 ここでは、大宅賞作家・安田峰俊氏が「移民」による事件現場を訪ね歩き、北関東に地下茎のごとく張り巡らされた「移民」たちのネットワークを描いた渾身のルポ『北関東「移民」アンダーグラウンド ベトナム人不法滞在者たちの青春と犯罪』(文藝春秋)より一部を抜粋してお届けする。(全4回の4回目/3回目から続く

写真はイメージです ©AFLO

◆◆◆

ADVERTISEMENT

出稼ぎの里・ゲアン省

 25歳のユキの故郷はベトナム北中部のゲアン省タイホアだ。

 ゲアン省はベトナム最大の省面積を誇るが、全体の約83%が山地や丘陵地帯で、耕地面積は限られている。いっぽう人口は354.7万人(2019年)で全国4位だ。1人あたりの平均月収は254.3万ドン(約1万5000円)で全国平均の約3分の2、ベトナムに63ある省や直轄市のうちで50番目である(いずれも2018年)。狭い平地に貧しい人たちがひしめく場所であることが、数字からもわかる。

 気候は「ベトナムで最も過酷」とされ、冬は最低気温が10度台まで下がるいっぽう、夏には旱魃(かんばつ)が発生する。さらに南シナ海で発達した台風がしばしば最強の状態で直撃し、強風や洪水、高潮・塩水遡上の被害をもたらす。

 いっぽう、王朝時代には科挙の合格者を多数輩出したことで知られる。また、日本とも縁が深い20世紀初頭のベトナム民族運動「東遊(ドンズー)運動」の活動家だったファン・ボイ・チャウや、国父ホー・チ・ミンの出身地でもある。1930年には、ゲアン省と南隣のハティン省の農民らが、共産党組織の指導を受けて蜂起し、当時のフランス植民地政府や「地主階級」に反抗してゲティン・ソヴィエトというコミューン政権を建てた(ゲティン蜂起)。

 いっぽう、ゲアン省は海外への出稼ぎ者が多いことでも知られる。やや古いデータだが、2011年のベトナム労働傷病兵社会省海外就労管理局(DOLAB)の統計によれば、同年の海外就労者のうち、ゲアン省出身者は15.2%を占めて全国1位。さらに北隣のタインホア省が11.2%で2位、南隣のハティン省も6.4%で全国4位である。もちろん、日本への技能実習生の送り出し元としても、この北中部3省はしばしば名前が挙がる。