日本には制度上、移民はいない。しかし、悪名高い、技能実習生制度のもと、ベトナム人だけでも実習生は20万人近く。その一部は低賃金や劣悪な環境に嫌気がさして逃亡、不法滞在者の「移民」として日本のアンダーグラウンドを形成している。かつて中国人が主役だったアンダーグラウンドを、今、占拠しているのは、無軌道なベトナム人の若者たちなのだ。

 ここでは、大宅賞作家・安田峰俊氏が「移民」による事件現場を訪ね歩き、北関東に地下茎のごとく張り巡らされた「移民」たちのネットワークを描いた渾身のルポ『北関東「移民」アンダーグラウンド ベトナム人不法滞在者たちの青春と犯罪』(文藝春秋)より一部を抜粋してお届けする。(全4回の1回目/2回目に続く

事故発生現場の交差点。ジエウが運転するミニバンは画面右の側道から飛び出し、画面奥から走ってきた別の乗用車と衝突。車体が弾き飛ばされて画面左のブロック塀に当たり、ジョギング中の男性を巻き込んだ。現場はベビーカーを押す親子連れも通る(著者提供)

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裁判中は黙り続け、終わってから泣く

「免許がないのに運転をしたのはなぜなんですか?」 

「……」

 2021年3月4日、水戸地方裁判所下妻支部の初公判。法廷では弁護士がおこなう被告人質問の声と、それをベトナム語に通訳する法廷通訳者の女性の無機質な声だけが響いていた。彼女は日本で長く暮らしている在日ベトナム人らしく、通訳のレベルは高い。

 証言台では黒のジャージ姿の女がうつむいていた。髪を茶色く染めているが、逮捕から約2ヶ月半を経たことで根元が伸び、ガトーショコラアイスの断面のように頭の色がくっきり分かれている。 

 コロナ禍のなかで、白のサージカルマスクを着用した被告人の表情は見えづらい。もっとも、私はこの裁判以前に牛久警察署で拘置中の彼女と15分ほど接見したことがあった。どんな性格の人物であるかは、ある程度はわかっている。

 彼女──。ベトナム人のチャン・ティ・ホン・ジエウは、1990年6月2日ベトナム生まれの当時30歳だ。元技能実習生で、前年末に茨城県内で無免許運転をおこない死亡ひき逃げ事件を起こしていた。

 初公判の場所は田舎の地裁であり、傍聴人は多くない。新聞記者もあまり来ていないようだ。ただ、裁判官から見て右側の傍聴席には、ひときわ重苦しい空気が漂っていた。被害者の遺族と思しき一団が陣取っているのだ。特に悲しげな目をしている中年の女性は、おそらく被害者の奥さんだろう。

「(事故のときに)右から車が来るのは見えましたか?」 

「……」

 国選弁護人は私と同世代くらいの男性弁護士だった。被告人のジエウに好感を持っていないらしく、検察官と役割を間違えたのかと思うほど口調と表情が厳しい。彼の口から「今後はかなりの期間の服役は免れないですが」という言葉が飛び出したときは、弁護士がこれを言うかと驚いてしまった。 

検察官による質問でますます沈黙が増える

 もっとも、彼がいらだつ理由も想像できる。被告人のジエウは、ごく簡単な内容の弁護人質問に対してもしばしば沈黙したり、「はい」「悪かったです」といった、明らかにその場しのぎに思える表面的な返答を繰り返しているのだ。事前に弁護士と満足なコミュニケーションを取ろうとしていなかったことを感じさせた。

 彼女はおそらく、日本人の弁護士が自分を守ってくれる「味方」であることを、感覚として充分に理解できていない。裁判で用いられる難解な語彙も、たとえ通訳をされたところで意味をつかむことが難しいのではないか。

 やがて、男性の検察官による反対質問に移った。