――今でこそ、本田選手のツイッターを見てチャーミングさが分かるようになりましたが、数年前まではマスコミ嫌いという印象もありました。
木崎 仰る通り、2010年W杯直前から本田選手はメディアに対してほとんどしゃべらなくなりました。それは様々な理由があるのですが、その一つが2009年のオランダとの親善試合で中村俊輔選手とフリーキックを蹴る権利でもめた時にスポーツ紙がこぞって本田選手を悪者扱いしたことです。このことがきっかけで本田選手はメディアへ疑問を抱くようになり、スポーツ紙を読まなくなったと言っていたことがありました。
――確かに、あの時の日本代表はまだ中村俊輔選手の方が実績も経験もあって、世間は本田選手を生意気な若手のように見ていたような気がします。
木崎 もちろん、これだけが理由ではなかったそうです。試合前にマスコミがした質問がノイズになって試合に集中するときに邪魔になるとも言っていました。他にも「アスリートの言葉はただじゃないんだぞ」という気持ちもあったと言っています。「日々研鑽を重ねる中で出てきた言葉をメディアはタダで使って儲けやがって」と僕もよく言われましたよ。「あとで100万円振り込んどいて」と冗談交じりに言われたこともあります。
「俺のコメントがない記事、楽しみにしているよ」
――ただ、そういったマスコミへの態度が硬化した本田選手ですが、むしろ木崎さんは懐に入り込んでいっているように思えました。2013年のスポーツ雑誌「Number」本田圭佑特集の巻頭記事はとても話題になりました。
木崎 結果的に良かったものの、あの時も会いに行ってもなかなか話してもらえず、苦しい取材でしたよ。3週間ロシアにいて唯一もらえた言葉が、「俺のコメントがない記事、楽しみにしているよ」だけ。記事でも本当にこのコメント以外は本田選手本人の言葉がほぼなかったのですが、幸いにも読者は面白がってくれたようで今でも「あの記事を覚えていますよ」と言われます。当時、本田選手も雑誌を読んでくれ、本人から「やるやんけ」と関係者を通じてメッセージが届きました。取材が難しい時期でしたが、しゃべらない取材対象からコメントをもらう、というミッションに挑むのはやりがいがあって面白かったですね。