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夢での発言をノートに書き留めた

 ――アメリカに到着してから公聴会当日まで、どのように過ごされていたのですか。

 豊田 社有の専用機で日本を発って、最初に到着したのはアラスカ州のテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港でした。そこからニューヨークに向かうわけですが、市内の3つの空港には、パパラッチが大勢待ち構えている。彼らを避けるために上空で行先を変更して、ワシントン郊外の飛行場に向かいました。ワシントンは大雪でしたね。人目を避けるため、販売店の方が所有する別荘に滞在することになりました。

 別荘に到着するとすでに、米国トヨタ社長(当時)の稲葉良睍よしみさん、米国トヨタ自動車販売社長(当時)のジム・レンツさん、弁護士、現地スタッフらが待っていた。公聴会までに残された時間は3日間だけ。毎日、全員で机を囲み、模擬公聴会をおこなうことになりました。

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 ただね、早朝から夜中までぶっ通しで練習しようと言うんです(苦笑)。そんなに無理やり頭に詰め込んだら、自分が何を知っていて、何を知らないのか分からなくなる。公聴会当日に混乱するのは目に見えています。「僕の言うべきことは固まっているから、1時間だけ練習して帰ります」と言うと、「さすがに午前中は我慢してください」と懇願されましたね(笑)。

 ――大ピンチなのに落ち着いていたんですね。

 豊田 飛行機の中で、社長を辞める覚悟が出来ていましたからね。地位や権力に対する執着がなくなった途端にリラックスできるようになりました。

 決して格好をつけるわけではなく、社長として会社の役に立てることが、とても嬉しかったんですよ、本当に。不思議なことですが、アメリカに着いてから公聴会に出席する夢を何度も見ました。夢では、下院議員から意地悪な質問をたくさん受けるのですが、私は非常に上手く受け答えをしていた。自分でも驚くくらいでした(笑)。目が覚めるとすぐ自分の発言を忘れないようノートに書き留めました。実際の想定問答集はそのメモを元に作り上げたものです。その時に使った小さなノートはいまでも大切に保管しています。

 公聴会までの生活で心掛けていたのは、1日1回、笑うこと。死に際を悟った人って「人生の最後は笑って過ごしたい」と考えるんじゃないですかね。私もそんな心境でした。稲葉さんやレンツさんは、毎日12時間以上の模擬公聴会を続けて、表情もどんどん暗くなっていきましたね。「今日はいい天気ですね」と声をかけても、2人の反応は薄かった。社長を辞任すると決めていた私はともかく、公聴会への出席はそれほど精神的な重圧がかかる。せめて私だけでも明るくしておこうという思いもありました。

 公聴会前夜には、「これで終わりだから、最後は笑うことを仕事にしよう」と、部屋で食事をしたんですよ。

 ――当時の心境としては、最後の晩餐ですよね。

 豊田 いや、それが面白かったことに、テレビを見ていたらニュースで「豊田章男」が話題になっていた。私の頭がおかしくなって逃げ出したのではと邪推されていたのです(笑)。メディアは往々にして“ストーリー”を作りたがりますからね。「俺はここにいるんだけどな」とワインを飲んで笑っていました(笑)。

逃げない・誤魔化さない・嘘をつかない

 ――公聴会当日、豊田社長の証言は「私は誰よりも車を愛し、トヨタを愛し、お客さまに愛していただける商品を提供することを最大の喜びと感じてきた」との言葉から始まりました。

 豊田 公聴会で一番伝えるべきことは、日本を出国する前から心に決めていました。「過去の経営判断は、その都度正しかったと思っている。ただし会社の成長スピードが、人材育成のスピードを上回ってしまったことが問題だった」というものです。そのうえで「安全、品質、コストという優先順位が崩れ、顧客の声を聞く姿勢がどこかでおろそかになっていた」と話し、信頼回復に向け全力を尽くすことを表明しました。日本を発つ前、歴代の社長の方々に対し、この内容で問題ないか、確認をとりました。3時間20分ほど続いた公聴会での指針は「逃げない・誤魔化さない・嘘をつかない」の3つです。これらはその後の社長人生のベースにもなっています。

私を救ってくれた最後の質問

 ――世間が驚いたのは、公聴会の直後、24日午後9時から放送されたCNNテレビのトーク番組「ラリー・キング・ライブ」に生出演されたことです。

 豊田 テレビ出演を決めたのは、その前日にレンツさんが出席した公聴会に対する報道がきっかけです。

 本来のスケジュールでは私の出席がレンツさんより先だったのですが、大雪のために後ろ倒しになり、順番が逆になった。レンツさんの公聴会での様子をテレビ中継で見ると、非常に誠実で丁寧な受け答えをされており、私も大きな手応えを感じました。

 ところが、その後のニュースをチェックしていたら、トヨタの株価とフォードの株価を比較する映像が流れ始めた。またレンツさんの発言が部分的に切り取られ、意図的な編集が施されているものもあった。悪質な印象操作で、あの時ほどメディアに不信感を抱いたことはありませんね。

 公聴会に出席するだけでは、自分の思いは世間に正しく伝わらないのではないか。そんな危機感を覚えた私は、すぐさまスタッフに電話し、「生放送の番組に出たい、どこか探してくれ」と伝えました。

 ――あれは豊田社長のアイディアだったんですね?

 豊田 当時は大手テレビ局のABCが、トヨタ車の欠陥疑惑キャンペーンを大々的に展開していた。急加速の再現実験映像を何度も流していましたが、のちに、その映像は捏造されたものと判明しています。出演するなら、ABCとは別のテレビ局がいいと考え、CNNの「ラリー・キング・ライブ」に打診したところ、その日のうちに、翌日放送の番組に生出演することが決まりました。

 ――テレビ出演の手応えはどうでしたか。

 豊田 いや、ラリー・キングさんはとにかく意地悪でしたよ(笑)。CMに入るたびに「次はこんな質問をするから」と言うのです。それで一生懸命答えを考えるでしょう、するとCM明けには全然違う質問が飛んでくる。困ってしまいましたよ(笑)。

 だけど、番組の最後、非常に良い質問をしてくれました。「あなたは何の車に乗っているのですか?」と。私はそこで初めてニコッと表情を緩めることができ、本来の自分らしさを取り戻せたと思います。ここは率直にお話ししようと、「年間200台の車に乗っています。車が大好きなんです」と答えました。考えてみれば「I love cars.」という強い思いがあったからこそ、社長になってからの苦しい日々を乗り越えられた。それは偽りのない実感でした。この質問が私を救ってくれた。今でも本当にそう思います。この率直な思いは、多くのアメリカ国民の心に届いた実感がありました。単なる大企業のボンボン社長ではなく、車を愛する一人の人間だと親近感を感じていただけたのではないでしょうか。非常に助けられましたね。

 実は、公聴会の1年後、ラリー・キングさんを訪ね、「最後の質問で助けてくれてありがとう」とお礼を言いました。どうしても感謝の気持ちを直接伝えたかった。それほど嬉しかったのです。