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《若手キャリアを税務署長に就ける「バカ殿教育」》傲慢キャリア官僚はノンキャリアの“正義”に負けた

《若手キャリアを税務署長に就ける「バカ殿教育」》傲慢キャリア官僚はノンキャリアの“正義”に負けた

記者は天国に行けない 第13回

2023/01/30
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「噂になっていますよ。でもあなたをいじめている官僚は評判が悪いです。傲慢ですからね。自分の持つアパートの家賃所得だって申告していません」

 私はハッとした。「国税幹部が申告漏れですか。アパート収入を?」

「それで現場は困っているんですよ」

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 後は自分で探って下さい、という声を聞いて、私は試されているような気になった。翌日からその官僚の周辺を調べ回った。警視庁の人脈も手繰った。

 その官僚はアパートを持っており、その家賃収入があった。100万円前後だったはずだが、税務申告すべき所得である。私が出張して突き止めるくらいの事実だから、税務署はもちろんその申告漏れを知っていた。ところが、彼はそれがわかっていて無視し続けていたのだった。

 国税庁は、一握りの大蔵省(いまは財務省)官僚がノンキャリア職員を率いるピラミッド型組織である。20代の若手キャリアを税務署長に就けるいわゆる“バカ殿教育”が、大蔵省不祥事の起きる1995年ごろまで続けられており、その中から自らを特権階級だと錯覚する官僚が生まれていた。

 くだんの官僚もその一人と見られていたが、東京国税局の指導的地位にある。傘下にある税務署は強引な追徴はできない。だが放置もできず、税務署の調査官たちは困り、それを知った国税局のノンキャリア組は憤っている、というわけだった。

国税組織の正義は密やかに実行すればいい

 私は一応の取材を終えると、あの調査官の玄関先に立って、「大した記事にはならないだろうが、本人に直当たりして新聞に書きたい」と告げた。すると、現場と相談してみる、と言った。数日後、彼は私に頭を下げ、相変わらず小さな声で言った。

「出張取材までされてご苦労でしたが、記事にするのは控えてもらえませんか。表ざたになれば国税局の恥です。私も悔しいです。申し訳ありませんが、あの人に説教してやってください。『納税道義の高揚を図れと唱えているのに、幹部にあるまじき行為だ』と。そして申告するように言ってください」

 それから彼はこんな話をした。

「国税庁の正義というのは税金を取ることなんです。捕まえたり、とっちめたりすることじゃないんです。あなたにはご不満かもしれませんがね。大きな権限を持っているからこそ、国税組織の正義は密やかに実行すればいいんじゃないですか」

 ——へえ、うまいことを言うもんだ。

 そう思ったら、ついうなずいてしまっていた。記事が掲載されれば陰湿な犯人捜しが行われ、当該税務署に迷惑がかかるという配慮も、彼にはあったのだろう。

「密やかな正義」という言葉を聞いて、私は警視庁記者時代に通った捜査二課のベテラン刑事を思い出した。連載第9回で紹介した毒舌刑事だ。

「二課のデカは正義に燃えなくていいんですよ。俺たちは警鐘を鳴らしているだけなんだから」

 と口癖のように唱えていた。かつての彼は「涜職刑事」(公務員犯罪を摘発する刑事をそう呼んでいた)の代名詞のような存在で、警視にまで昇進した。その男がこう言った。

「日本国中に贈収賄は山ほどあるんだ。ところが挙げられている知能犯のホシなんてのは百のうちの一つだ。だから俺は、汚職事件を挙げたと喜んでいる若い衆に言っているんだ。『思い上がるんじゃないよ。俺たちはたまたまそのうちの一つをやって、世の中に警鐘を鳴らしてるだけだ。それだけの話だよ』と。満足するなよ。もっと大きな政治家たちや官僚の犯罪はいっぱいあるんじゃねえか。それはまだできてねえよ。社会正義を振りかざして威張るなってことだよ」

 国税局の調査官たちは、その刑事と比べるとずっと静かで地味、志操とか節義といった古い言葉を思い起こさせる職員がたくさんいた。その一人は明朗だが、「廉吏」としか表現しようのない調査官で、酒席はもちろん喫茶店でも私に一円のカネも払わせなかった。「人生に貸しは作らない」と言う。別の調査官はこうも言った。

「俺たち国税職員は堀の水の下に沈んでいる石垣でいいんだよ。見えなくていい。堀の水が干上がったときに初めて『ああ、あそこに石垣があった。こっちにはゴミをひっかける杭があったんだ』と気づくような存在でいいんだ。一番てっぺんの天守閣を支えているのは、そんな堀の水底の石垣なんだから。もちろんてっぺんが腐っちゃあ、どうにもならないが」

 下積みの役人の生きざまとはそうしたものらしい。

 後日、問題のキャリア官僚に会い、修正申告するように告げた。私の口調は密やかどころか、鼻息も荒いものだったろう。

「あなたの申告漏れは職員にも知られていますよ」と言ったら、泡をくっていた。へどもど言い訳をする青い顔を見て、胸がすっとしたが、モヤモヤしたものが後に残った。やはり、私たちの正義は記事を書くことだ。そして、彼らキャリア組を含めた官僚世界の「のぞき窓」、情報源のようなものを持ちたい、とぼんやりと思った。

ノンフィクション作家・清武英利氏による「記者は天国に行けない」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年2月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

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密やかな正義
《若手キャリアを税務署長に就ける「バカ殿教育」》傲慢キャリア官僚はノンキャリアの“正義”に負けた

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